2023年2月22日水曜日

知られざる『ハリー・ポッターシリーズ』の裏のテーマとは

(注意)『ハリー・ポッターシリーズ』全編のネタを割っています。原作未読、あるいは映画未視聴の方はご注意ください。

 世界的に有名な児童文学シリーズ・メディアミックス作品である『ハリー・ポッターシリーズ』。10歳の時に自分が魔法使いだと知った少年が、魔法学校に入学し、両親をかつて殺害した宿敵と戦っていくというストーリーです。最終巻で主人公ハリーは宿敵ヴォルデモート卿を打ち倒しますが、ストーリーが壮大すぎて、全ての戦いが終わった後で、「結局ヴォルデモート卿は何がしたかったんだ?」などと疑問を感じた方も少なからずいるのではないでしょうか。この記事では、ヴォルデモート卿の作中での目的や、ストーリー構図から、『ハリー・ポッターシリーズ』で最終的に作者は何を表現したかったのか、その「主題」を追究していこうと思います。

もっとも、この記事で私が示した結論が正しい――つまり私がここで書いた内容が作者の本来の意向に実際に沿っている――とは限らないし、他の様々な観点からのアプローチでもっと多様な分析・考察が可能だと考えています。ですから、この記事を読むときは、あくまで作品に対する解釈の一つとして考えておいてください。

▲以下ネタバレ注意!


『ハリー・ポッターシリーズ』の主題は「愛の優越性」

最終巻7巻『死の秘宝』の最後の戦いでは、最終的に主人公ハリーが勝利し、ヴォルデモート卿は滅びました。具体的に物語内でどうしてハリーは勝ち、ヴォルデモートは敗れたのか、勝敗を左右した経緯は何だったのか、これらを追うことは、物語の主題を得るための一つの重要な手がかりになってきます。

ヴォルデモートの直接の死因は、自身が放った死の呪いが跳ね返ったことによるものでした。なぜ跳ね返ったのかと言えば、それはヴォルデモートがハリーを殺害するために用いた杖「ニワトコの杖」の「所有者」(注)がハリー自身だったらからです。ヴォルデモートは、ニワトコの杖の「所有者」は自分だと思い込んでいましたが、それは誤認でした。ニワトコの杖は魔法の力を最大限に発揮することのできる「最強の杖」と言われていますが、どんな杖でも「所有者」自身を殺めることは出来ません。結局、ヴォルデモートがニワトコの杖でハリーに放った死の呪いは、ハリーの放った武装解除呪文によって押し返されて、ヴォルデモート自身を滅ぼしてしまったわけです。

(注)『ハリー・ポッターシリーズ』独自の概念。魔法の杖には人格は無いが、自分の所有者となるべき魔法使い・魔女誰か一人を正しい「所有者」として認定する。正しい所有者によって杖が用いられれば、杖は正しく効果を発揮するが、所有者で無い人間が用いると正しく効果を発揮しない。

しかし、ヴォルデモートの死因は他にもあります。それが「自身の『分霊箱』が全て破壊された」ことでした。「分霊箱」とは、殺人を犯すことにより引き裂かれた自分の魂の一部を、何か物(本、指輪、装飾品、動物など、時には人間も)に入れ込むことによって、自分の肉体本体が、死の呪いを受けることなどによって死亡した場合においても、他の魂が生存していることにより、生きながらえることが可能になるという、闇の魔術の一つです。物語最初に、ヴォルデモートが自身に反射した死の呪いを受けたのにも関わらず、霊魂だけは存続できたのは、彼が5つも分霊箱を作成していたからでした。

ところが、2巻『秘密の部屋』で破壊された「トム・リドルの日記」や、6巻『謎のプリンス』でダンブルドアにより破壊された「マールヴォロ・ゴーントの指輪」、7巻の冒険の過程で破壊された「サラザール・スリザリンのロケット」など、7巻『死の秘宝』の最終決戦の時までに、ヴォルデモートの分霊箱の魂は、ハリーやその仲間たちなどによって全て破壊されていました。これにより、死の呪いを受けたヴォルデモートは滅びる他なくなってしまったのです。

ヴォルデモートが「分霊箱」を作成するまでして「死の克服」に執着したのは、彼が常に「死」に対して大きな恐怖を抱いていたからです。これには彼の生い立ちが非常に関係しています。

ヴォルデモートは、1926年の冬の日に孤児院に飛び込んだ魔女である母メローピー・ゴーントによって産み落とされました。この時点でメローピーは衰弱して魔法を使えなくなっていたため、直後に死亡してしまいます。そのことをのちに知ったヴォルデモートは、魔法を用いて死を回避することに執念を持つようになったのです。そしてまた、ヴォルデモートは、孤児院で育ったという環境から、他者への「愛」を知らないまま育ちました。これにより、躊躇なく他者に危害を与え、延いては殺人を犯してまで分霊箱を作成し、死の克服を試みることが安易に出来たわけです。

しかし、彼が「愛」を知らなかったことが、のちのち彼の身を滅ぼすきっかけとなっていくのです。赤ん坊だったハリーが自分に打ち勝つものになるだろうという予言を知ったヴォルデモートは、匿われていたポッター家の居場所を特定し襲撃。ハリーの両親を殺害し、そしてハリーをも殺害しようと試みました。ところがその前に、ハリーの母リリーは、ヴォルデモートに襲われる時に、自分の命を犠牲にして息子ハリーを守る防護魔法を彼にかけていたため、ハリーはヴォルデモートの死の呪いを跳ね返らせるに至ったのです。そしてその防護魔法の原動力は、親から子への「愛」でした。ヴォルデモートはこの愛の魔法の存在自体は知っていたようですが、その「愛」の力を軽視していたため、このような結果になったというわけです。

ただ、このように、ヴォルデモートが「愛」を知らなかった理由は、単純に孤児として育ったからだけではありません。ヴォルデモートの母親メローピーの実家ゴーント家は、ホグワーツの創設者の一人でもあるサラザール・スリザリンの末裔で魔法族による「純血」という由緒正しい家柄でしたが、現代では没落しており、彼女は兄や父から虐待を受けて育ちました。そんな中彼女は近所のマグル(非魔法族)であったトム・リドルに恋心を抱くようになりましたが、トムの方は彼女に関心を持とうともしなかったため、彼女は「愛の妙薬」を用いてトムを自分を好きにさせて駆け落ちしました。こうして、薬によって模倣された「愛」のもと生まれたのがヴォルデモートだったのです。

ヴォルデモートが「愛」を知らなかったことは、7巻の最終決戦の時も彼の身を滅ぼす要因の一つとなりました。ヴォルデモートはハリーらがいるホグワーツを襲撃し、彼を禁じられた森にいる自分のもとへ呼び出し、彼に死の呪いを放ちます。この時、ハリーはその場に倒れましたが、様々な要因が重なって、死ぬことはありませんでした。ヴォルデモートは、部下のナルシッサ・マルフォイに彼の死を確かめさせますが、その時、ナルシッサはハリーがまだ生きていることを知りながら、ヴォルデモートに対し「ハリーは死んでいる」と嘘をつきます。実は、ナルシッサはホグワーツ内にいる息子ドラコ・マルフォイの生死を案じており、彼が生きているとハリーから聞いたことで、ナルシッサはハリーがまだ生きていることをヴォルデモートに知られないようにしたのです。もちろん嘘がヴォルデモートにバレればナルシッサは殺されかねないのですが、ナルシッサの中では、自分が殺される恐怖よりも、息子の命を案じる気持ちの方が強かったのです。驚くべきことに、ここにもかつてのリリーが赤ん坊のハリーを守ったように、自分を犠牲にしてでも他者を守ろうという「愛」の力が存在していたわけです。ヴォルデモートは「愛」の力を軽視していたのと、ハリーが死んだことへの期待感から、ナルシッサの嘘を見破ることが出来ませんでした。その後ハリーは死んだふりを続けた後、一瞬の隙を突いて形勢逆転を得ることが出来ました。

最終的に、ヴォルデモートは、自分の使っていたニワトコの杖(注)の「所有者」をめぐる誤認、分霊箱の破壊、そして何よりも「愛」の力を軽視していたことが、身を滅ぼす要因になりました。「分霊箱」はヴォルデモートが抱く「死への恐怖」を体現していますが、それらは最終的に全て破壊され、そしてハリーたちは他人からの「愛」の力によって勝利を得ました。つまり、『ハリー・ポッターシリーズ』の物語の全体の構図や、ストーリーを構成する個々の出来事について見た時に、ここには「時に『愛』は『死への恐怖』をも制する」というテーゼが存在するのです。この「『愛』の優越性」、これこそが『ハリー・ポッターシリーズ』の核心を占めるテーマなのではないかなと、私は考えました。

(注)そもそも「ニワトコの杖」の所有者たる条件として、「死を受け入れられる者」というものがある。


『ハリー・ポッターシリーズ』と「人種差別」

さて、ここまで説明してきたのが、『ハリー・ポッターシリーズ』の表のテーマに関する考察でした。ここからは、もっと深く考察できないかなということで、もう少し分析を続けていきたいと思います。

前節では、ヴォルデモートが「死の克服」へ執着してきたことを説明してきましたが、それだけではヴォルデモートの作中での行動の目的を説明することはできません。映画の方ではあまり鮮明に描かれませんでしたが、作中での彼の行動の最終的な目的は「マグル生まれの排除」です。その背景には、魔法使い・魔女は、マグルの血の遺伝を受けない「純血」であるべきだという「純血主義」の思想がありました。

ヴォルデモートは孤児院時代、まだ自分が魔法使いであることを知らない時、他人からの「愛」を受けることなく育ちましたが、何となく自分には特殊な力があることには気づいていました。そしてその自負が、自分の心持の礎となっていたのでしょう。その後彼のもとにダンブルドアが訪れ、彼はホグワーツに入ることとなり、そしてそこでも他者より優れた頭脳と才能を発揮しました。こうして、ヴォルデモートは自分の魔法に対する自負を深めていくと同時に、その力の源である魔法族の血を重んじる「純血主義」へと傾倒していったのです。

キーとなるのはこれです。この彼の行動原理の根本にある「純血主義」の思想は、生まれなどによって社会における地位を固定させるという点で、現実世界における人種差別の思想のメタファーになっているのではないかと非常に感じられます。そのような考えを持つヴォルデモートを打ち倒していくというこの『ハリー・ポッターシリーズ』の内容には、こういった人種差別や米国における白人至上主義を批判するといった裏テーマが存在するのではないかなと、私は考察しました。

ここまでで考えられる、作中で描かれたヴォルデモートの最終的な目的は、「死への恐怖の克服」と「純血主義の実践」です。そして、『ハリー・ポッターシリーズ』の物語の中で、作者は、ヴォルデモートの滅亡を描くことを通じて、「『死への恐怖』に対する『愛』の優越性」や、「人種差別への批判」などというテーマを表現したかったのかもしれません。もちろん、これは、人種差別だけでなく、民族や宗教、ナショナリティといった、自分の意志・理性で変更することが出来ない属性を持つ個人・集団を排除するような社会の習性全体、すなわちあらゆる差別への批判と捉えることもできます。

作者のJ・K・ローリングはかつて、イスラム教徒の入国問題を巡ってドナルド・トランプを「ヴォルデモートよりも邪悪だ」などと批判したことがありました(参照)が、彼女が敢えてここでヴォルデモートという悪役を喩えに引き出したのは、このヴォルデモートという悪役に対し、現実世界の「差別」の実体を投影していたからではないでしょうか。ある意味、『ハリー・ポッターシリーズ』内でのヴォルデモートの存在は、現実世界における様々な差別を巡る問題と、非常にリンクしているものだと考えられます。


どんな形にせよ、『ハリー・ポッターシリーズ』はその壮大な物語の中で、様々な感情や思想を表現しています。ですから、この記事で今回紹介した内容は、そのほんの一部に過ぎないと思われます。さらには、物語の中で示された様々なテーゼに対して、自分がどのように受け止め、考えるかという役割は、常に読者に任されている、そういうことを心に留めておくべきです。物語は、感情や思想を強制的に共有させるために作られているのではありません。感情や思想を受け止めたうえで、次は自分がそれに対するアンチテーゼを示していく、それが文学作品を鑑賞する始まりなのです。

(2023.2.22)


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