2023年1月31日火曜日

【持続的平和に資する 第3回】ナショナリスト的国防論に未来は無い

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 さて、このウェブログ「未来ノート」で昨年6月に書き始めた【持続的平和に資する】シリーズも、今回で3回目を数えることとなる。大意としては、これまでのこの2回において、私は日本と世界の安全保障に関して、以下の2つのことを中心に述べてきたはずだ。

  • 現代戦争の根本的な原因は、兵器や軍備ではなく、イデオロギーの差異
  • 民主主義は、戦争を回避することが出来るイデオロギー

その上で、地球上からあらゆる戦争を除去するためには、基本的人権の擁護や、言論の自由(情報公開の促進)、民主主義といった価値観の普及が必要だとした。ここに挙げた価値観や理念は、普段我々がこれらの言葉を用いる時の意味よりも抽象的なものであり、他者に強制して実現するようなものではなく、世界のより多くの人々に対する受容性を考慮して設計されたものである。

「民主的平和論」に基づけば、世界の全ての国が、議会制度や透明性のある情報公開システムが担保された民主主義に基づく政治システムを持てば、完全な国際平和が成立するという。しかし直接的に考えて、今から世界のすべての国に民主主義を普及させると言うのはどう考えても非現実的である。日本が完全な封建社会から現代のような民主主義を実現させるまでに100年以上かかっているのだから、このような普及取り組みは、世紀単位での国際平和実現には有効であったとしても、目の前の国防や安全保障に用いるのは不適である。

ではどうするか。一つの手段としては、民主主義諸国による集団的安全保障の実現である。その一例がNATOであり、あるいは日米安全保障条約であるのだが、実はこれも先ほどの「民主的平和論」にインスピレーションを得ている節がある。というのも、「民主的平和論」が成立する根拠として、「民主主義国家同士は戦争をしない」という通義があった。これを応用して、「世界規模でこれを実現したい」というのが、「民主的平和論」が国際平和の手段として語られるロジックであったのだが、少し事の範囲を縮小すれば、子の通義を「ある特定の地域の国家群がみな民主国家であれば、その地域で戦争は起こらない」ということに変形できる。その具体的実現例と言えば、まさにEUである。つまり、民主主義国家が増えることは、戦争リスクが減ることを意味し、民主主義国家が減ることは、戦争リスクが増えることを意味する。この場合において、「民主主義国家を増やす」ことは先ほど述べたように火急な実現は困難であるので、「民主主義国家を減らさない」ことを通じて、戦争リスクを減らす安全保障を考えていく。つまり、民主主義国家への侵略を阻止、あるいは侵略からこれを防御するような安全保障、これが、民主主義諸国による集団的安全保障の内容である。

具体的に言えば、これはまさにロシアによる侵攻から防御するための西側諸国によるウクライナへの支援であったり、あるいは台湾有事の抑止、有事への備えであったりすることに該当する(注)

(注)ここにおける「民主主義国家」とは、「民主的平和論」の文脈における意味であり、一般的に語られる意味とはやや異なる意味を含んでいる。「民主主義」とは、集団の構成員の間で理性的かつ公平な政治議論が可能な状態である政治体制のステータスを主に指し、「国家」は、包括的に議論する便宜上、台湾のような事実上独立している主権勢力も含むものとする。

日本も、この集団的な安全保障システムの中に組み込まれている。日米安全保障条約もそうだが、侵略を受けたウクライナへの支援、あるいはある出来事を非難するような意思表示も、このシステムに参与していることを示している。

しかしここである疑問が浮かぶ。民主主義諸国による集団的安全保障のシステムに組み込まれていることが、日本にとって本当に利益になることなのだろうかと。中国が台湾への軍事的侵攻を試みているのは「台湾統一」という明確な国家的イデオロギーがあるからだから可能性として理解できるが、「尖閣諸島」という小島をめぐってわざわざ中国が攻めてくるのかというと、疑問符が付かないわけでもない。むしろ台湾問題に関わらない方が、関わるよりも利益が多く、損害が少ないのではないかと。

最近話題になったのが、元サッカー日本代表の本田圭佑氏の以下のようなツイートだ。

イメトレ。尖閣諸島は言うまでもなく日本の領土。中国は言うまでもなく日本の大顧客。中国と直接取引してなくても自分は関係ないとは言えない。間接的に全ての日本人の生活に影響してる。でも尖閣は譲れない。中国としても日本とケンカはしたくないはず。あくまでも気になってるのはアメリカ。―――Tweet by @kskgroup2017 2023.1.19, 9:06

日本がとりたいポジショニングは中立。ここの立ち回りが難しいところ。ワーストシナリオは中国が思ったより早く台湾に仕掛けること。それでも日本は中立が正しい立ち位置じゃないか。その上で尖閣に関してだけは強い意思を見せる。そしてアメリカを怒らせないように中立の姿勢を見せていくところも鍵。―――Tweet by @kskgroup2017 2023.1.19, 9:17

この戦略が日本にとって最もローリスクハイリターン。―――Tweet by @kskgroup2017 2023.1.19, 9:19

このように本田氏は、あくまで台湾有事の際は「尖閣諸島」など日本の利害に関して行動すべきだとし、台湾については「中立」であるべきだとして、日本が集団的な安全保障システムに組み入ることへの疑問を感じているように見える。事実もし台湾有事などが起きれば、日本も国内に点在する「軍事目標」を中心として被害を受ける可能性がある。

そしてそのような被害を受けてまで日本以外の安全保障に関与するようなことに意味を見出せないという声もよく聞きはする。さらには、このような安全保障に関与することは、実質的に「米国の(勝手な)戦争に加担させられている」という指摘すらあり、それに基づいて、「核武装論」を含む自主的な国防路線を目指そうと主張したり、外交を以てして中国などと妥協の余地を広げようと主張したりする議論が存在する。

しかし、それでも台湾有事を始めとして、民主主義諸国などによる何らかの集団的な安全保障の枠組みに関わっていく必要・利益が日本にはあると、私は感じる。台湾有事に関して言えば、もし仮に本田氏の言うように日本が「中立」策を採る、つまり米軍基地の不使用、日本の台湾側への不支援、意思表明無しなどの策を採るとなると、まず

  • 台湾陥落の可能性………近頃話題の米国戦略国際問題研究所(CSIS)の「台湾有事シミュレーション」によれば、「台湾勝利」の条件の一つは「米国が日本国内の基地を戦闘行為に使用できるようにする」こと。

が浮上してしまう。これは単純な民主主義諸国の勢力の減退という不利益だけでなく、日本の海運や半導体産業にも悪影響を及ぼす可能性もあり、領土以外の国益からしても看過できない。さらに、台湾有事に限らず、日本が民主主義諸国の集団的な安全保障のシステムから外れるような策を採るとなると、

  • 民主主義諸国の勢力の減退の可能性………これにより、前述のように世界的に戦争リスクが高まる→世界秩序にとって不利益
  • 日本の国際的立場が危うくなる………無行動による孤立化の可能性。日米関係も含めて冷却→自主的な国防路線への転換

というような結果になるだろう。そしてその結果代替手段として必然的なものになってくるであろう、日本が自主的な国防路線を採るという選択は、非常に歓迎しがたいものである。自主国防路線は直接的に自国の核武装を必要とする。そのための巨額な費用を、米国など他の国々との関係性が希薄になり、国内では少子高齢化など深刻な社会問題が渦巻いているなかで、捻出できるだろうか。日本の国防を日本国内で完結させることは、ほぼ不可能といってよい。「中立」を選ぶのは、これまでの集団的安全保障の枠組みから抜け出し、自主国防路線を選び、そして行き詰まる。そういうことを意味してしまうのだ。

「国防」の話をすると、どうもやはり「日本をどう守るか」「日本がどう戦争を避けるか」などという話になってくる。しかし、残念ながら、日本という国は、自国の防衛を自国内で完結して運用することが出来ない国である。だから、米国など他国と関わり合って、それに従事せねばならない。「日本という国自体の防衛」は第一目標であるが、それに固執するあまり、集団的安全保障を軽視するのは、民主主義諸国の勢力の減退による戦争リスクの増加という世界にとっての不利益な結果と、自主国防路線の最終的な行き詰まりという日本自身にとっての不利益な結果といったように、二重の不利益を全体として招くのだ。

日本の国防が国内で完結させられないという現状がある以上、私は「国防」という言葉を、その言葉の実際の意味以上に、「世界秩序を守ること」と解釈したい。これを唯一なせる手段が、上記の通り、民主主義国家などによる集団的安全保障システムである。私は、安全保障を考えるにあたって、自主国防路線や外交的妥協に固執するような態度をとるなどして、自国だけの生き残り戦略しか考えないのは、非常に無責任だと考えている。というのも、前述のように、そのような戦略では、世界全体で民主主義諸国の勢力の減退を招き、少しでも国際平和・秩序を守ることさえも出来なくなってしまう恐れが生じる。そればかりでなく、日本において、このような戦略を採れば、運用的な問題で国防が行き詰ってしまうだろう。

私は、そのような無責任な国防戦略の態度を、自国主義的という意味で、「ナショナリスト的国防論」と呼ぶ。実際にそれを唱えている人が、ナショナリストであるかどうかは関係ない。「日本だけでも生き残ってほしい」そんな善意が世界を不幸にする。

(2023.1.31)


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