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2023年1月6日金曜日

混沌世界と凡人科学【未来ノートコラムA・第17回】

 事実認識を整えるのは非常に難しい問題だ。前提として、世界は常に多種多様な事象が途切れることなく連続的に発生しており、因果関係が至る所に存在する。それはまるで植物の「根」のように複雑で、秩序が無く、そして捕捉するのが難しい。それでも人類は、いにしえの時から何とかそれを秩序付けようと、観察、実験や思考実験などを経て、科学を発展させてきた。

そうして、この混沌とした「根」の集合体であるこの世界を細部まで分解しながら観察し、現代の科学はここまで発展してきた。ここにおいて、現代の科学は、本質的には「根」のように混沌している世界を、どうにか秩序を持つ「木」のような構造に組み直そうとした試みによって成立していると言える。しかし、数千年の時を経て、人類が科学の核心へ迫るに迫るうちに、せっかくつくった「木」の構造さえも、いつの間にか「枝」のような混沌とした構造に戻ってしまった。

2022年10月7日金曜日

【持続的平和に資する 第2回】民主的平和論とその理念

<<第1回を読む

書いた記事がだいぶ前のものになってしまったが、上記リンクの「第1回 武器と他傷心理」で私は、真に世界平和を追求するのであれば、軍縮や兵器の削減など表面的な非戦化ではなく、戦争という忌まわしいものを生み出す根本的な要因、すなわち戦争因子を除去する政策を世界的に展開する必要があるとした。これによってもたらされるのが持続的な平和である。

そして更に、近代における世界平和を最も脅かす大国同士の戦争の起因は、政治的イデオロギーの差異にあるとした。それの解消が戦争因子の除去であり、解消とは「民主化」であるとした。

2022年9月25日日曜日

リベラル民主主義とは何のためにあるのか【未来ノートコラムA・第16回】

結論から先に言えば、それは人間社会が人民の意志によって暴走しないための、防波堤である。

リベラル民主主義は、単純な通常の「民主主義」が国家の政治体制の言い方として使われるのに対し、民主主義国家内で、より「自由」「人権」を重視する政策に関連して使われることが多い。だから、反独裁政治、反共産主義というよりは、反人権侵害的なイデオロギー・政策を掲げるものが見られる。当然程度の差はあれ、「人権侵害」というのは民主主義国家でも起こりうることだ。だからリベラル民主主義は民主国家内でも積極的に活動する。

2022年8月13日土曜日

三点忌食

親鳥は、産んだ卵の上に座って、雛が孵るまでそれを温め続ける。それを親鳥の子鳥に対する愛情だとかいうのは誤りだ。実際は、親鳥は卵の上に座すことによって体が冷えて気持ちいいからそうしているだけなのだと言われている。繁殖期になると、親鳥は胸から腹にかけての羽毛が抜け落ち、そこは裸の状態になる。そうなると親鳥は自然にそこの部分=抱卵斑を何か冷たいものに当てたくなる。それで卵が温まるのは結果としての話だ。

というか、これは進化の結果である。繁殖期になると、抱卵斑が形成され、そこでひんやりさを求めてそこを卵に当てる種しか生存してこなかったのだ。あくまで、親鳥がこうした形で卵を温めるのは、遺伝子に刻み込まれたプログラムに過ぎないという訳だ。

2022年5月5日木曜日

中国ゼロコロナ政策の限界と寡頭政治の限界【未来ノートコラムA・第15回】

中国随一の金融都市上海では、先月5日にCOVID-19の新規感染者数が1万3000人を超える高い水準となり、同日に都市全体の住民約2500万人を対象としたロックダウン(都市封鎖)を開始した。しかし、この感染者数1万人程度の数字は、諸外国の数字と比べてそこまで高いわけではない。例えば、日本は当時第7波のピークを迎えていたが、同日の全国の感染者数は4万5684人となっており、上海のそれより3倍以上多い。

しかしながら、現状、感染者数の少ない上海の方が、ロックダウンという強力な措置で防疫を図っている。この背景には、中国と諸外国とのCOVID-19政策の根本的な相違点というのがある。

2022年4月17日日曜日

純粋な正しさへの道【未来ノートコラムA・第14回】

今年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻の戦争は長期化している。それに対して、ロシアが戦争を始めたことを糾弾する反戦デモなどの反戦活動が日本を含め世界各地で催されている。みな「戦争反対」などと声を上げている。あるいは、この機に改めて「戦争は悪だ。絶対悪だ。」ということを啓発しようとしている人もいる。

ただ、この「戦争は絶対悪だ」などというある種の「命題」を、何か学術的なアシストもなくただただ唱え続けるのは、私としては抵抗がある。それは私が戦争を肯定する者だからとかではなく、あらゆる命題・言説に関して、これらを肯定する場合、全ての人が一旦その根拠を知ってみることが必要だと感じているからだ。つまり、ここでは戦争はなぜ絶対悪なのか、という理由を記していき、更にそこから発展して議論を深めていきたいと思う。

2022年2月14日月曜日

多数決文化との決別【未来ノートコラムA・第12回】

多数派がいつも正しいとは限らない、それはいつだって

 小学校の算数の授業で、アナログ時計は一日に何回長針が短針を追い越す(=重なる)かという問題が出されたという。選択肢は、21回、22回、23回、24回、25回の5つであった。

当然ながら、答えは22回である。算数的なテクニックを使えば2秒で求まる問いだが、冷静に一つずつ考えてもそう時間はかかるまい。午前中は、まずいきなり0:00に追い越しが行われ、次に1時台には1:05頃に追い越し、2時台には2:11頃に、3時台には3:16頃に、4時台には4:22頃に………と続いていって、10時台には10:55頃に追い越しが行われる。そして次の11時台だが、11時以降の短針と長針との追いかけっこは、正午12:00に決着がつく。この時点で、もう時刻は「午後」に入っているため、これは午後に行われた追い越しとカウントされる。よって、11時台には追い越しが行われず、午前中に行われる追い越しの回数は11回。これが午後も行われるわけだから、11*2=22回が正解だ。

2022年1月15日土曜日

人類史終わりへの肯定と疑念【未来ノートコラムA・第9回】

人類史とは何であったか

 人類の歴史、少なくとも近世以降の人類史は、イデオロギー闘争の歴史だったと言われています。イデオロギー闘争とはどういうことかと言えば、国の最も大まかな方針を定める綱領(成文不文両方含まれる憲法や慣習のようなもの)を如何なものにするか、あるいは具体的な政策を執り行うか否かなど、あらゆる考え方の違いを巡り、人々が口論から流血を伴う大戦争などまで様々な形で争ってきたということです。今私が使った「考え方」という言葉は実に抽象的なもので、具体例を挙げるなら「××家がこの国を治めるべきだ」「この国には共産主義体制を敷こう」「この集落の川には橋を架けるべきではないか」「全ての人に身体の自由が保障されるべきだ」「COVID-19対策のために経済を犠牲にすべきではない」など、本当に様々な事が想定されます。

そんなイデオロギーの差異に端を発して、人類はその3000年以上の歴史の中で、単なる個人の間の言い争いから、世界の二勢力による大戦争までをも起こしてきたわけです。

2021年12月18日土曜日

二度死んだ少年、二度死ぬ男

 2021年12月17日、大阪駅近くの繁華街にある都市ビルの4階のクリニックで火事の手が上がり、火は30分ほどで消し止められたにも関わらず、ビルの階には一酸化炭素が充満し、結果多くが中毒で意識を失い、犠牲者の数は24人(記事公開時)まで上ったという悲惨なものであった。出火原因は今のところ放火の可能性が高く、61歳の男が患者としてクリニックに入った直後に、何か発火性のある液体をストーブの近くにばらまいて引火させたという。病院に搬送された人々の中にはその男も含まれており、重篤な状態だという。

2年前の7月に発生した京都アニメーション放火事件と今事件との共通する要素は多い。男が建物に入って液体を引火させたこと、そしてその男も重い火傷を負ったということ、大勢の人間が亡くなったということ…。このような重大事件が日本で、それも立て続けに起こったことに対する衝撃を隠せない人は多いだろう。

2021年10月16日土曜日

イソップの警告【未来ノートコラムA・第8回】

 イソップ童話にこんな話がある。

葦の生える沼川に住むカエルたちは、毎日川の畔でゲコゲコと鳴くだけの自由過ぎる日々に飽きてしまった。そこで、自分たちを統制してくれる何か王様みたいのを授けてくださいと、天の神ジュピターに申し入れた。

ジュピターは、カエルたちが非常に単純で愚かな動物だと見抜いており、そこで天から巨大な丸太を落としてやった。丸太はものすごい音と波を立てながら、川の水面にザブンと落ちた。カエルたちはそれに驚いて、恐れて急いで川の畔へと逃げた。しかし、しばらくすると、丸太が落ちた音も波も止み、静けさが戻って来た。そこで、一匹のカエルが、さっき大きな音を立てたのは今川面に浮かぶ丸太だということに気づく。

2021年9月19日日曜日

天理と知識人【未来ノートコラムA・第6回】

今回は、私が今の世界や日本の政治社会がすべきことについて、ニーチェなどの哲学を中心にまとめてみようと思います。最後まで読んで頂ければ幸いです。

天理をひたすら追い求める

明治初期に、明治政府は今後日本を近代化させていく上での基本方針として、「五箇条の御誓文」を発表しました。当然、「御誓文」のかたちなので、天子(明治天皇)が天の神や皇祖皇宗に対する約束をするという形式がとられましたが、重要なのはその内容です。その第一条が次の通りです。

2021年8月13日金曜日

【読書感想】民主主義とは何か 後

 <<【読書感想】民主主義とは何か 前

この文章は、東京大学の教授である宇野重規教授の著書『民主主義とは何か』の、僕が読んだ感想を述べる記事の後編になります。感想記事の前編を読んでいない方は、まずはそちらをご覧ください。

なお、以下に掲げられている当書籍「宇野重規『民主主義とは何か』講談社2020」の本文の引用は、著作権法第32条で示されている引用の方法に乗っ取ったものであり、これらは全て論評目的で行われていることを、ここに添えておきます。引用部分は、数マスくらいインデントを下げています。

2021年8月12日木曜日

【読書感想】民主主義とは何か 前

 この記事では、東京大学社会科学研究所(ISS)にお勤めされている、政治哲学者の宇野重規教授が、COVID-19パンデミック最中の2020年10月に発表された、『民主主義とは何か』という本を読んだ僕の感想などを書き進めていこうと思います。なお、この本に関しては、「未来ノート」のリンク集でも紹介しているので、まだ読んでいなくて興味のある人は、それを元に購入したり、あるいは近くの図書館で借りて読んでみたりすることを強くお勧めします。

さて、本を紹介する前に、著者の先生を紹介するのですが、宇野教授は、昨年菅義偉政権が発足した直後に問題となった、日本学術会議の会員任命を拒否された6人の学者のうちの一人です。宇野教授は、過去に第2次安倍政権が推進した特定秘密保護法に反対しているほか、政権そのものに対してもあまり肯定的でなかったので、推薦任命から外されてしまった可能性が高いという事です。

2021年8月11日水曜日

言論統制の指標

 時折独裁国家においては、その独裁体制を打倒する恐れのあるような言論は、排除され、その他の言論も国家によって統制されます。例えば、政府に反するような新聞記事を書いた記者が逮捕されたり、反政府的な論調のメディアが閉鎖されたりなど、統制の方法は多岐に及びます。いずれにしても、このような政府による行為は、報道の自由や言論の自由などの表現の自由を侵害しており、国家法的にも違法な行為です。

とは言え、偏に二元的に言論が統制されている状態と、良好な状態になっているのを判断するのはよくなく、それから健全な民主国家においても、たびたび言論統制が行われる可能性があります。しかし、言論の統制は国家によっていきなり行われるものではなく、むしろ段階的に施されることが多いようです。

2021年7月19日月曜日

忌むべきものの核心【未来ノートコラムA・第4回】

 ここでは、【偽りの平和主義と戦う 第4回】各国のイデオロギーの補足的な説明をさせていただきたいと思います。というのも、実は、旧ソビエトや現在の中華人民共和国が掲げる共産主義に対して、勝利しなければならないとする「勝共」主義などの、反共的なイデオロギーについて、考えてみたいなと思ったからです。

「反共」というのは、文字通り共産主義に反対するようなイデオロギーの事で、20世紀前半に、ソビエト連邦がロシア革命によって成立するなど、共産主義がいよいよ欧米の既存の資本主義体制に脅威を与えるのではないかという危機感から、このような「反共」は共産主義の広がりと同時に広がりました。

2021年6月7日月曜日

見えない全体主義の心【未来ノートコラムA・第2回】

 昨年の大統領選挙では、民主党のバイデン前副大統領と共和党で現職のトランプ大統領(当時)が、接戦を展開した中、事前の世論調査で優勢であったバイデンが、300票以上の選挙人票を獲得して勝利しました。一方で、トランプの陣営は、一般投票、特に勝敗が途中で逆転することとなった「ラストベルト」地域やアリゾナ州で、バイデン陣営による不正があったと主張し、法廷闘争に打って出ました。しかし、どこの裁判所でも、証拠不十分として訴訟は却下されました。

そして、意外に知られていなかった、大統領を連邦議会で正式に選出する「1月6日」に、議事堂を暴徒が襲いました。暴徒はあろうことか、議事堂の奥まで侵入し、多数の財産を損壊させたほか、議事に多大なる影響を与えました。直前には、集会のため、バイデンの勝利を認めず不正選挙を主張するトランプとその支持者たちが集会を行うため、議事堂の周辺に集結していました。

2021年5月9日日曜日

ポリティカル・コレクトネス[政治的妥当性]をより強く、そしてより良いものに

 皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を知っていますか?

ポリティカル・コレクトネスは「政治的妥当性」「政治的適正」「政治的正確性」「ポリコレ」「PC」とも呼ばれ、社会で生活を営んでいる様々な立場の人間にも不快感を感じさせず受け入れられるような言語使用・政策・文化をさします。現在は、それらを実現させようと米国のリベラル派、すなわち左派が行動していますが、この「ポリコレ」の言葉には、右派からの侮蔑的意味合いもあります。

構図的に簡単に説明すれば、米国の左派は、基本的に人種や宗教、文化に寛容な立場の人々が多いので、このポリコレを推進しようとし、一方で右派は、米国の伝統的価値観や、受け継がれてきた宗教(キリスト教、まれにユダヤ教)を守ろうとする立場なので、言語表現などの変革が行われるポリコレに不快感を抱いている人が多くいます。そしてこのポリコレを巡る概念は、米国から世界に広がって様々な議論を巻き起こしているのです。

今回は、このポリコレについて探っていきたいと思います。

2021年5月6日木曜日

【偽りの平和主義と戦う 第7回】民主主義の覚醒

 さて、前回僕が言いたかったのは、もし自分の住んでいる国が独裁国家になった時に、独裁者が武力を用いて我々の自由を奪おうとするのなら、まわりの人たちと一緒に武器をとって彼らに抵抗するべきだ、ということでした。

でも、やはり暴力を使うのは気が引けるところですよね。暴力を使って、抵抗して死んでしまったら元も子もないとあなたは思うのではないでしょうか。更には、暴力を使えば当然相手側にも死傷者が出たりして、平和的精神に反するのではと思いますよね。

でも、あなたがそう思うのは、もしかしたらこの平和で自由が維持されているこの国・日本にずっと住んでいて、それが当たり前だということに慣れてしまい、自由や民主主義のありがたみが薄れてきてるからではありませんか?

2021年5月5日水曜日

【偽りの平和主義と戦う 第6回】自由人の力

 前回は、独裁者が誕生するには、次の2通りがあるかと言って紹介したと思います。

1.人々の絶大な支持を得て、権力を握った者
2.圧倒的な力を背景に、権力を握った者

今回は、このうちの「2」についてと、結局その独裁者から、われわれが人間らしく生きるために必要な「自由」と「民主主義」をどのようにして守ればいいのか、どのような信条を以って守ればいいのかということについて、実例を通じて、僕自身の説明したいと思います。

2021年5月4日火曜日

【偽りの平和主義と戦う 第5回】独裁者に迎合する悪

 前回は、国の体制は、資本主義であろうと社会主義であろうと、とやかく人間ひとりひとりがみな人間らしく自由に生きられるか否かで良し悪しが決まってくる、といったような内容の説明をしました。そのうえで、第3回補足では、国の指導者や国家は独裁者であろうとそうでなかろうとに関わらず、国民に責任を負っている、といった趣旨の説明をしました。両回ご理解いただけたでしょうか。

今回は、もしあなたの住んでいる国が、独裁国家になってしまった時に、どうすればいいかというのを、私論ですが説明させていただきます。

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