2021年4月25日日曜日

【偽りの平和主義と戦う 第1回】日本国憲法と自衛隊と冷戦

2019年ごろまでは、日本の中央政界、特に安倍晋三首相(当時)や自由民主党は、憲法改正、具体的には平和主義を定めた現行憲法第9条に、自衛隊を明記する、そういう改革を目指していました。そして2019年のゴールデンウィークには、翌年(2020年)には新憲法を施行したいというメッセージを彼が出すなどしました。

しかし、中国からの新型コロナウイルス感染症、今にいうCOVID-19が日本に流入すると、もうそれどころの話ではなくなりました。4月には緊急事態宣言も発出され、国民誰しもがそれへの対応を求めるようになると、憲法改正など既にどうでもいい話となり、世論調査を見る限り、国民の憲法改正への関心はほとんど無いようです。

ところで、ではなぜ憲法改正の動きがこのごろ盛んなのでしょうか。そして、なぜ憲法で「戦力」は禁止されているはずなのに、現に「自衛隊」が存在するのでしょうか。自衛隊は戦力ではないのでしょうか。


周知のとおり、1945年8月、日本は敗戦しました。そして当時の連合国司令部(GHQ)の司令官であったダグラス・マッカーサーが日本を動かす実質的な権力者となりました。ここでのアメリカ合衆国やマッカーサーは、日本を二度と(米国と)戦争しない国にして、東アジアの盟主の地位を日本に代わって、蒋介石率いる中華民国に与えようというものでした。こういう考えの下、軍隊(大日本帝国陸軍と海軍)は直ぐに解散され、大日本帝国憲法に代わる新憲法、すなわち現行憲法の草案が作られていくのです。結局新憲法(当時)には、GHQが出した草案を若干改めたものが施行されることになりました。そこには「日本は戦力を持たず戦争をしない」という条文、が第9条に書かれていたのです。憲法が成立したのは、敗戦から1年あまり経った1946年11月のことです。このとき、GHQの占領下にありながら、日本国政府はこの憲法に従って統治をすることになったのです。


しかし状況は一変します。蒋介石率いる中国国民党の中華民国と、毛沢東率いる中国共産党(後に中華人民共和国を建国させる)が再び内戦を起こしました。この国共内戦と呼ばれるこの戦役で、蒋介石率いる中国国民党の中華民国は、台湾に追いやられ、中国の大陸のほぼ全てが中国共産党の支配下に置かれることになったのです。


さあ大変です。米国としては、第2次大戦中も同盟国であり、同じ資本主義であった中華民国に東アジアの盟主を任せようとしたのに、その中華民国の国力は圧倒的に下がってしまったのです。当然ながら、米国を敵とみなす共産主義の中華人民共和国に盟主の地位を渡すわけにもいきません。そこで、米国は再び日本に目を向けます。


中国に東アジアの盟主の地位を渡せなくなった今、米国はそれをかつての列強であった日本に渡すしかないのです。日本は、敗戦後も天皇制が維持され、資本主義が継続され、さらに(米国と)絶対に戦争しないようになっているので安全です。さらに、朝鮮半島では、朝鮮労働党率いる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、かつて米国が占領していた地に建国された大韓民国(韓国)に侵攻し始めました。このままでは中国だけでなく朝鮮半島までもが共産主義に染まり、そのボスであり、アメリカのライバルであるソビエト連邦(ソ連)の力が増大してしまいます。こういったことが米国を焦らせました。これが、1950年頃のことです。


まずは米国は日本に力を与えなければいけませんでした。そして、日本を早急に占領から解除して独立させ、自らの自由主義陣営(資本主義陣営)に招き入れるのが急務でした。できるなら軍事力を持たせたいと考えていました。しかし、戦力を持たないと定めた日本国憲法は、とっくの昔(1947.5.3)に施行済みです。しかたがないので、米国は日本に「軍隊じゃないけど機動力を持っている部隊」を設置させます。これが警察予備隊でした。これが保安隊となり、1954年に自衛隊となり、現在の陸・海・空の自衛隊となるのです。しかしこれでも自衛隊はやっぱり軍隊にしか見えない、憲法と矛盾している、違憲だ、と論争のテーブルの上に上がるのです。


また、沖縄などには米国軍が駐留しました。これが在日米軍です。


それからというもの米国は自由主義陣営の盟主として奮闘しました。結局決着つかず終わった朝鮮戦争の後、米国は韓国を守るためにそこにも軍を駐留させます。


さらに、1960年代には、朝鮮半島と同じく分断されていたベトナムのうち、アメリカの傀儡でった南ベトナムの独裁政権を守るために、沖縄などから軍をそこに派遣し、様々な作戦を行いました。これが、ベトナム戦争です。しかし、戦争は泥沼化し、民衆の支持を得た北ベトナムが南ベトナムを吸収する結果となりました。米国の作戦は結果的に失敗し、「米国が唯一負けた戦争」と言われるほど惨めな戦況でした。米国の人々は、枢軸国のファシズム国家(全体主義国家)と戦った第2次世界大戦を「良い戦争」(good war)と呼ぶのに対し、このベトナム戦争は、米国はさまざまな残忍な作戦を駆使したりなどしてベトナムの現地を苦しめたので、「悪い戦争」(bad war)と呼びました。


この後も、米国とソ連は直接は戦わず、陣営を巡って争う冷戦が繰り広げられましたが、ソ連は政治改革の失敗で、1991年にあっさりと瓦解してしまいます。これが今のロシアとなったのです。


一方で日本は、東アジアの盟主の地位を得た後、冷戦期にはこれに並行して順調な経済発展を遂げます。また、米国との同盟を日米安全保障条約の改定で強化します。これには多くの日本の人々が反対したようで、街中での暴力も含め、さまざまな活動が行われましたが、結局条約は改定、その後自動延長されたのです。


ここまでをまとめます。


まとめ①

  1. 米国は、第2次大戦終結後、東アジアの盟主の地位を当初中華民国に与えようとしたが、それが中国共産党に敗れると、その地位を日本に渡し、同盟に引き入れた。
  2. 米国は、日本に軍事力などの国力を与えようとしたが、既に「平和主義」を定めた日本国憲法は施行済みのため、しかたなく軍隊ではないがその役割を担う自衛隊を設置させたが、とても地位が曖昧になり、今でも、憲法と矛盾しているといわれる。
  3. 米国は、戦前戦中は対ファシズム戦争として戦い、国民は「良い戦争」と後に称賛したが、冷戦期のベトナム戦争では、残虐な兵器を使用するなどしたため、国民から「悪い戦争」と非難を浴びた。


(2021.3.13)


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