2021年5月16日日曜日

【偽りの平和主義と戦う 最終回】希望

 さて、前回は、現在の米中対立の構図が、おおまかに見れば「自由主義国家」対「人権弾圧国家」の対立であり、後者は、かつてレーガンが言ったような「悪の帝国」である中華人民共和国が含まれるということをお伝えしました。

そして、この回において私の言いたいことといえば、それは米中対立ないし米中冷戦が、戦争に発展する可能性があるということです。具体的にどのような経緯で戦争が発生するのか、予想されるシナリオを紹介します。

最も戦争が起こる切り口になる可能性が高いのが、台湾です。台湾には、かつての第2次国共内戦で敗れた中華民国という承認されざる国家が存在します。台湾は、1990年代に李登輝という指導者が、国中を民主化して、党国制というある種の一党独裁体制を解体しました。その結果、現在台湾は親中派の「中国国民党」(従来ある政党)と、比較的独立派の「民主進歩党」(現在の与党)の二大政党制が敷かれています。台湾は現在日本以上に民主主義が盛んだと言われていて、2020年の「民主主義指数」という指標によれば、「完全な民主主義国家」に分類されるとのことです。

しかし、中国共産党率いる中華人民共和国は、台湾だって中国の一部だとかねてから主張しています。現に、中華民国は、1970年代初頭に、「なんで中国のうち台湾しか統治していない中華民国が中国の代表なんだ?」とのことで、国際連合を追放されて以来、だんだん国家として承認してくれる国々が減っていました。一方で国際社会から見捨てられたわけではありませんでした。世界の各種統計でも、中国大陸からは独立した「地域」であると認識され、米国も台湾をずっと支援してきました。非公式ではありながらも、日本と台湾の関係が現在非常に良好だということは言うまでもありません。

でも、中国共産党からしてみれば、自分たちが国際連合の中国代表のはずなのに、台湾という存在がいまだあることに不満を覚えているでしょう。そのため、何らかの形で、中国大陸と台湾を「統一」しようと試みていたわけです。

その中国共産党が試みた、台湾を統一する(=吸収する)方法の一つが、台湾の人々が自主的に中国大陸と統一しようとするものです。具体的には、返還された香港に適用したような「一国二制度」です。台湾の人々は、単に統一されたらすぐさま中国共産党の一党独裁化にならずに済むなら、それでいいと思っていました。そのため、中国共産党は、そういった人々の心情に合わせる形で、「一国二制度」を台湾に適用して統一を図ろうとしたのです。

でも、今は台湾の人々の中で、そんな考えを持つ人はほとんどいなくなったのではと感じます。「香港」が台湾の未来を写す鏡となったからです。一国二制度が導入されたのにもかかわらず、結局香港では自由が失われてしまった…という現実が起こったのです。それはつまり、「一国二制度」によって、人々の自由が保障されるなんてことは有りえないということを意味します。

そういう台湾の人々の「一国二制度など甘言に過ぎない」という意識が現れた出来事が、第7回にも紹介した、2020年中華民国総統選挙です。この選挙では、「中国共産党が支配する中国大陸との統一など有りえない、台湾は独立している」という考えを持った現職の蔡英文総統が再選しました。この選挙では、台湾の人々の危機意識もあってか、投票率が前回と比べてもぐぐんと上昇しました。

中国共産党が、先に香港の一国二制度を屍にしたことによって、逆に台湾の人々は、「一国二制度が甘言であること」に気付いたわけです。台湾の人々が、自主的に中国大陸との統一を目指すなんてことはほぼ有り得なくなったわけです。

なお、これは中国共産党が自らの行いで、融和的に台湾を統一(=吸収)する術を失ったことになります。融和的な統一が出来れば、中国共産党も国際社会からの非難を受けないで済む名分が出来るので、損をしたという見方もできます。

そうなると、やはり中国共産党は、武力で台湾を併合しようと試みるでしょう。習近平主席は、自分の代で、何か「成果」を上げたいと考えているようです。その「成果」の候補の一つが「台湾併合」に当たると考える人もいます。現に、米軍の司令官が、中華人民共和国が6年以内に台湾に侵攻する恐れがあるという見解を発表したのです。

実際その予見が当たるか当たらないかはともかく、習近平が、自分の代で台湾を併合しようと目論んでいると考えるのは必然的です。習近平は、先の憲法改正で、国家主席の任期を、2期10年から無期限にしました。こうすることで、着々と台湾へ侵攻する準備を整える時間を得ているのではないでしょうか。

台湾が、一国二制度であろうがなかろうが、中国共産党の支配下に陥ることは、民主主義の敗北を意味することで、あってはなりません。恐らく、米国も様々な手段を使って、対抗するでしょう。残念ながら、中国共産党が、台湾併合を目論んでいることは、大手メディアでも週刊誌でも普通に報じられていて、そのXデーが迫っていることは確実視した方が現実的だと思います。結局、中国共産党が台湾に軍を進めるとなると、米中の全面戦争が発生する恐れが非常に高く、戦争は間近に迫って、ほぼ避けようが無いように見えます。

当然ながら、米中の戦争ないし軍事衝突が発生するとなると、日本は多かれ少なかれ実害を被ります。具体的には、在日米軍基地への攻撃や、中国大陸に進出した日本企業の大損害などが挙げられます。更に、自衛隊も行動を起こすことになると、更にそれらの実害が大きくなるのではと考えます。

そこで、

1.自衛隊の増強
2.脱中国依存

が必要になってくると考えます。

1に関しては、先の大戦の教訓から、あくまで専守防衛に徹する範囲で行うのが理想で、今の政府の政策のちょっと上を行くくらいの増強が丁度いいと感じます。よく、「軍国主義の復活」「軍拡」と批判されますが、別に戦争が絶対悪であるとは私は考えません。何が悪なのかと言えば、それは人権や自由を弾圧すること。それを守るために、人々が武器を持って闘争を起こすことは悪いことではないし、国単位で台湾や日本の領土を守って、民主主義の敗北を阻止するのも悪いことではありません。

先の大戦時の日本は、反対派を封じて国民を統制し、ホロコーストを行うナチス・ドイツと手を組みました。そして、民主主義国家であった米英と戦争をしました。これは、まさしく米国側にとっては「良い戦争」であり、日本側にとっては「悪い戦争」でした。

戦後は、分かり易いように戦争一般を「悪」とするような法習慣が広まっていきましたが、まずは「良い戦争」「悪い戦争」の区別をすべきだと考えます。今のこの文章には、強烈な違和感を覚える方もいらっしゃるとは思いますが、中国共産党という「悪の帝国」の侵攻に備えるためにも、最後のカードとして、聞こえはよくありませんが「戦争」というのも捨ててはいけないと思います。

あと、2なのですが、中国大陸にはたくさんの人々が住んでいて、日本の企業もそこで利益を上げるために、多くそこに進出してきていました。でも、さし迫る戦争が今発生した時に、中国大陸との物流が一気にストップすることが考えられます。そうすると、こうした企業は甚大な損失を被ることになるのです。そうなる前に、こういった中国への依存を、日本の本土や東南アジア、米国などへの分散を進めるべきです。


今からおぞましいことを言いますが、仮に中国共産党の作戦が成功して、台湾が併合された場合のことを考えます。まず、中国軍の活動範囲が広まることが予想されます。南シナ海だけでなく、東シナ海までもが、中華人民共和国の圧力に晒されることとなるのです。更に、日本への中東からの物流の制限が生じる可能性も出てきます。また、同時に米国は世界的影響力を低下させ、今まで民主主義国家が握ってきた世界覇権を、一党独裁の中華人民共和国の、それも一人の独裁者に明け渡すこととなるのです。

こうなると、世界は一気にディストピアと化します。日本や米国は、まだ自由や民主主義が当分の間維持されますが、ミャンマーのような、情勢が不安定な国では、一気に独裁覇権国家の影響力で、民主主義への運動が潰されます。その他にも、世界には独裁国家がどんどん増えていきます。そしていずれ、日本や米国も国内から自由が失われ、民主主義が衰退して独裁化するのではないでしょうか。


今話したシナリオは、あくまで最悪のシナリオで、起こり得る可能性が高いものではありません。実際、中国共産党が台湾を併合するのは、かなりリスキーで困難なことです。軍事専門家に言わせれば、中国人民解放軍(中国共産党の軍隊)が台湾海峡を船で渡って、台湾全土を占領できるような戦車や警察などの戦力を送るのは、非常に難しく、これに米国が加われば、台湾併合を阻止できる可能性が高くなるという見方があります。


いずれにせよ、これから日米がすべきことは、他のEUやインドやオーストラリア、そして台湾と連携して、中国共産党の動きを封じていき、中華人民共和国の世界覇権を握ろうという動きを阻止するということです。


中国共産党は、何らかのかたちで、今後100年の間に崩壊するのではと思います。第6回でも述べたように、人々は自由を求める本能を捨てることは出来ません。いくら強固な言論統制を固めていても、独裁者は自由を求める人々にいずれ倒されるのです。

そして、今後100年の間に、中国は何らかの形で民主化されます。

そういうような希望を我々は捨ててはいけません。


たとえ我々の未来に、戦争という苦難があったとしても、そこで独裁者に打ち勝ち、世界を自由で満たせれば、必ず我々が理想として抱く、「誰もが自由を手にし、幸福と平和のうちに生きられる」世界がやってくるはずです。

それが100年後であろうが、200年後であろうが、私は希望を捨てません。必要であれば、独裁者と戦う準備も進めるべきです。そして、臆病にも自由を求める争いから身を引くなんてことは、あってはならないことなのです。


これでこのシリーズは締めたいと思います。ありがとうございました。

(2021.4.4)


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