2021年5月10日月曜日

ぞうとおじさん【ドラえもん傑作ファイル・第3回】

 今回取り上げるのは、戦時下で殺処分された象を描いた「かわいそうなぞう」という童話を元にした、原作作品です。暗い話題を取り上げつつ、コメディカルなシーンも混ぜて戦時下の人々の様子を伝える良作です。それについてあらすじと感想、考察を述べていこうかと思います。

なお、今回は政治的見解が考察に含まれているのでご注意ください。

●基本データ●
初出:「小学三年生」1973年8月号
単行本:てんとう虫コミックス第5巻第18話(最終話)
大全集:第4巻第29話
アニメ化:1980年『ゾウとおじさん』、2007年、2017年

▲以下ネタバレ注意!


1.あらすじ

のび太の叔父のび郎が、探検先のインド帰りに野比家へ寄ってきて、のび太たちに戦前の動物園での思い出を話す。彼は少年時代、動物園にやってきた象「ハナ夫」が大好きで毎回そこに通っていた。しかし、戦争が始まると、それができなくなり、自身も疎開しなくてはならなくなった。終戦後、再び動物園に行ってハナ夫を探してもおらず、人の話によると、殺されたのだという。

そこまでのびドラは話を聞き、「ひどいことだ」と言って、戦中の動物園にタイムマシンで乗り込んでハナ夫を逃がして殺されないようにしようとする。

戦中の動物園―。動物園と軍は象の殺処分を計画していたが、いっこうにうまくいかない。一方で、ハナ夫の飼育員のおじさんは、どうしてもハナ夫を殺すことができなかった。痺れを切らした伍長は、自らハナ夫を射殺しようとするが、飼育員に同情したのびドラが止めようとする。しかし、そこで思わず日本が敗戦することを言ってしまったため、スパイだと疑われて逃げることとなる。

だがそこで敵機の空襲が行われ、動物園にもいくつか爆弾が着弾した。小隊は退避していたため、その間にのびドラと飼育員はハナ夫を逃がそうとする。でもすぐに兵士たちに象がいないことを気づかれてしまった。★

しかしこのまま逃げても先が見えないことに、飼育員のおじさんは絶望する。それを見た、ドラえもんは「ゆうびんロケット」を使ってすぐさまハナ夫を故郷のインドまで安全に送り届けることにした。打ち上げは成功する。そして飼育員のおじさんにのびドラは別れを告げる。彼は涙を流して2人に感謝していた。

ともかく、これによってハナ夫はひとまず難を逃れることができた。

タイムマシンで現代に帰ると、まだ叔父さんの話が続いていた。今度はインドでの探検の話だった。実は、のび郎は、インドで隊員とはぐれ、ジャングルの中で一人になってしまった。周囲に人などいない。このまま絶望的だったが、そこに一頭の象、いや、ハナ夫が現れて、彼を人里まで運んできてくれたのだ。でもなぜハナ夫がインドに…。のび郎はこれは夢だったかもしれないと振り返る。でも、夢でも再会できたことに喜びを感じていた。一方、のびドラは、ハナ夫が無事インドに着けたんだということを確信して歓喜する。


(2017年のアニメ化では、★に以下の要素が追加)

伍長は、空襲の混乱に乗じてのびドラと飼育員がハナ夫を逃がしたと確信し、兵士に命じてそれを阻止するよう言いつける。一方、のびドラは「無生物催眠メガフォン」を使って、兵士たちを引き付けるが、伍長に見破られて失敗し、捕らえられて縛られる。そして、飼育員とハナ夫は園外まであとわずかのところで追いつめられてしまう。

象を引き渡すよう勧告する伍長。しかし飼育員はハナ夫の前に立って頑なにそれを拒む。のびドラも彼の側につく。伍長は、銃の引き金を引こうとした。

しかし、そこでさきの空襲の不発弾が炸裂。周囲の建物が破壊され、まわりは残骸だらけとなる。だが幸いにも、のびドラ、飼育員、そしてハナ夫は無事だった。

でも、振り返ると、そこには瓦礫の丸太の下敷きになった伍長がいた。兵士たちは必至でそれをのけようとするがどうにも出来ないようだった。

それを見た飼育員のおじさんは、ハナ夫に「彼を助けよう」(引用1)と言った。

ハナ夫は伍長のところに向かい、彼を下敷きにしている丸太を鼻に取る。すると、すぐさまそれをのけることに成功する。

歓喜するのびドラ、そして飼育員は彼に優しく手を携える。彼の手を取った伍長は「どうやらわしが間違っていたようだな」(引用1)と彼らに話す。「わしとて本当は動物など殺したくない。だが、戦争は一度始まったら、もう誰にも、どうすることもできないのだ…。」

「僕たちならハナ夫を助けることができます。」(引用1)

のびドラは2人にそう伝える。(この後は原作通り)


2.考察

本来であればバッドエンドであった戦時下を描いた童話『かわいそうなぞう』だが、これをモチーフにして、「園長気をつけなさい。タヌキが檻から出ていますぞ」などというコメディカルな場面も交えて、希望的に漫画化する藤子先生には敬服する。

そして評価すべきは、原作だけではなく2017年のアニメ化であろう。

2017年7月28日は、放送尺を約2倍にするスペシャル放送ということでの、例年の夏スペシャルであった。しかし、特筆すべきことと言えば、この回は水田版ドラえもん史上最大のリニューアルが行われた後の最初の放送回だということだ。何がリニューアルされたかと言うと、サブタイトル画面やBGM、そして最も目立つのは背景だろう。従来の水彩画調からポスター画調に変更された。そのため、作中では、背景画面を強調するかの演出も多く行われた。

それはともかく本題に戻ろう。2017年のアレンジでは、上の通り原作では完全に立場が悪役だった伍長が、戦時下の職務と本心との間の葛藤、広く言えば戦時下の日本人の心の葛藤を見せるシーンが追加された。そして他にも彼のセリフには重要な論ずべき意味が含まれている。

「戦争は一度始まったらもう誰にもどうすることも出来ないのだ」というセリフは、戦時下の日本において、(ほとんど勝ち目がなかった)戦争を止めることなど考えずに人々が一つの目標にまっしぐらに進んでいった結果、破滅に向かいかけたということを示唆しているのではないか。当時、日本の軍部は国民に天皇という一つの偉大な指導者を立てて、彼のもと、ファシズム的な全体主義体制(=翼賛政治体制)が敷かれていた。もちろん戦後蓋を開けてみれば、昭和天皇は実は平和主義者だったという事実が明らかになり、多くの日本人が(天皇が戦争を指導して、人々は彼のもと国を守るために命を懸けるべきだという)虚構の物語の中で戦っていたという当時の実態が判明した(全く盲信していたわけではないことに注意してほしい)。

だが、この飼育員のおじさんは、少なくともこの物語の外側を知っていたことが作中から窺える。彼は、話の最初から最後までひとたびもハナ夫を殺そうとはしなかった。毒の餌を与える時も、結局は自分から餌を取り上げた。ハナ夫を殺すことはできなかった。なぜか。それは彼がハナ夫を愛情の下長い間育ててきたに違いなかろう。2017年のアニメ版では、この彼とハナ夫が過ごした時間が挿入歌(「キミのひかり」)が流れるなか描かれていた。

戦時下の日本の「全体主義」は、ナチス・ドイツの全体主義とも、ソ連のような共産主義全体主義とも異なる。戦時下を適切に描いた物語であれば、そこから全体主義の影を見出すことができる。『ぞうとおじさん』もその一つだ。

(2021.5.10)


3.引用

引用1:テレビ朝日2017年7月28日放送「ドラえもん」


前回:『具象化鏡』

次回:『時限バカ弾』



0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントを投稿される際は、未来ノートの「運営方針」に示してある投稿ルールを確認していただいて、それを遵守されるようお願いいたします。投稿内容によっては、管理人が削除する場合があります。

選抜記事

多数決文化との決別【未来ノートコラムA・第12回】

多数派がいつも正しいとは限らない、それはいつだって  小学校の算数の授業で、アナログ時計は一日に何回長針が短針を追い越す(=重なる)かという問題が出されたという。選択肢は、21回、22回、23回、24回、25回の5つであった。 当然ながら、答えは22回である。算数的なテクニックを...

多読記事