2021年5月16日日曜日

【偽りの平和主義と戦う】要約

 僕の全10回にわたってまとめ上げた「偽りの平和主義と戦う」シリーズなのですが、文章量が非常に多く、いちいち読むのがめんどくさいという人のために、要約文を作ってみました。

この要約文には、第1回から第9回までの記事の最後にある「まとめ①から⑨」を軸として作られた、結論だけの文章が載っています。当然、その結論に至るまでの様々な論理は、この記事では省かせていただいているので、ご了承ください。もし、詳細を知りたければ、その該当記事を読んでください。


要約

1.戦後世界の歴史

米国は、第2次大戦終結後、かつて日本が持っていた東アジアの盟主の地位を当初中華民国に与えようとしましたが、それが中国共産党に敗れると、その地位を結局は日本に渡し、自らの西側諸国の同盟に引き入れました。

そしてさらに、米国は東アジアの盟主としての日本に、軍事力などの国力を与えようとしましたが、既に終戦直後に定められた、「平和主義」を定めた日本国憲法は施行済みのため、しかたなく軍隊ではないがその役割を担う自衛隊を設置させましたが、とても地位が曖昧になり、今でも、憲法と矛盾しているといわれ、巷で議論が巻き起こっているのです。

一方でその米国は、第2次世界大戦中は、対ファシズム戦争として民主主義を守るために戦い、国民は「良い戦争」と後に称賛しましたが、冷戦期のベトナム戦争では、残虐な兵器を使用するなどしたため、国民から「悪い戦争」と非難を浴びることとなったのです。

現在も世界で最も活躍している国際機関である国際連合は、実は、第2次大戦終結前に、主に連合国の国々によって結成された国際機関で、後に日本などの旧枢軸国も加盟しました。その国際連合の加盟国のうち、米英ロ中仏には安保理における拒否権などの特権が与えられていて、たまにそれらの国々がこれらの権利を私物化して行使することで、国際連合が平和のために機能しないことがありました。

2.なぜ民主主義は尊いのか

「資本主義」「社会主義」など、「××主義」という物をまとめてイデオロギーといいます。各国はそれぞれイデオロギーを持っており、他国の異なるイデオロギーが自国に流入すると、自国の体制は崩壊する恐れがあるので、各国の政府はそれを厳しく規制することが多々あります。

そういえば、中華人民共和国政府は、米国などの人権に関する追及に対して「イデオロギー的偏見はやめるべきだ」とよく言いますが、これは全く正しくありません。人種と違って、異なる「イデオロギー」は平等ではありませんから。

人類は生まれながらにして、他人のそれを侵さない限りの自由を持っています。言論弾圧は、そういった人類の権利(人権)を不当に侵す、独裁者の手段の一つです。

民主主義を究極な形で実現するのは今のところ非常に困難で、一部、少数の人数で細かい物事を決定するような、「独裁」を混ぜることで、国家を良い方向に傾かせることがようやくできるのです。一方で、悪しき独裁者は、国家を良い方向に傾かせるという名目で、本当は国家や社会をよくしたいと考えている言論を弾圧します。それは許されない「独裁」なのです。

以上のことを考えれば、結局、民主主義のためには自由が存在し、独裁によって、自由など人権が弾圧されるという論理構造になります。自由(主義)こそが人類が持つ普遍的価値観なのです。なぜなら、それは人間が生まれながらにして持っているものなのですから。

そしてその「自由主義」というイデオロギーは、その中で人々が人間らしく生きる権利を保障しています。今まで人類が考案したイデオロギーの中でも最も認められるべき価値観なのではないかと考えられているのです。

資本主義や、社会主義などは考案された当初の仕組みで行うと、必ず後から欠陥が出て来るという歴史をたどりました。それらを改良する過程で、資本主義国家は次第に民主化、社会主義国家は次第に独裁化する傾向が強まりました。しかし、必ずしもそうという訳ではありません。

結局は、問題は、それぞれのイデオロギーの中で、人間が自由に生きられるかそうでないかということになります。

3.独裁者に対抗する手段

独裁者が生まれる過程については二通りあり、一方は「大勢の人々の支持によって」、もう片方は「圧倒的な力を背景に」して権力を奪取します。

しかし、人々全員が同じ考えを持ち、同じ人を支持するなんてことは絶対にあり得ません。「大勢の支持によって」、独裁者が誕生してもこれは決して許されるものではありません。なぜなら、必ずそこでは誰か少数派が虐げられていますから。そして、自らの保身のために、分かっていながら独裁者に迎合して容認することこそ悪を生み、罪なのです。

一方で、圧倒的な力を背景に独裁が始まり、人々が自由が突然奪われたとき、それを取り返すためならば命をも懸けるでしょう。

どんなに独裁者が情報統制や洗脳教育を行っても、人間にもともと備わっている「自由」を知りたい、求めるといった本能がある限り、独裁者は「自由」を国から一掃することは出来ないのです。もし自由を求める自分たちに対して、独裁者がその動きを封ぜようとしているならば、自分たちも武器を持って立ち上がる覚悟をすべきではありませんか?逆に、私たちが無抵抗であれば、たちまち彼らの独裁が強固なものと化してしまいますよね。

たとえ民主主義の制度に乗っ取っても、独裁政治を行うことは許されません。もし、そういった者が現れた時は、民衆は武器をもって抵抗することも出来ます。この考え方を「戦う民主主義」というのです。

普段日本では、人々の政治関心が薄く、民主主義なんて本当に必要なのか疑問に思うことがありましょう。それは、その当時の政治の国民生活への影響力が薄いからであり、政治が生活に大きな影響を及ぼす、つまり自由が制限されそうな民主主義の危機に陥った時に、民主主義は火事場の馬鹿力を発揮するのです。

4.米中対立に重ねる

まず、中国大陸の、特に国営メディアの社説や報道は、全て中国共産党の宣伝に過ぎないことを理解すべきです。

そして、中国共産党や、中華人民共和国などの独裁国家が言う「平和と安定」には、「『誰もが独裁者に従順している状態』ゆえに社会が『平和』になる」という意味が裏に込められています。これは「偽りの平和主義」であり、決して、本来あるべき「世界に生きる全ての人が争いなく、人間らしい生き方をできる幸福な空間で過ごせる」という意味での真の「平和」と混同してはいけません。そして、その「偽りの平和主義」には絶対に騙されてはいけないのです。

今私たちが危惧すべきことと言えば、こういった「偽りの平和主義」を掲げる独裁国家によって、新たな国際秩序が生まれてしまうことです。その秩序が形成されてしまえば、もう永久に私たちには自由を持ちながら、人間らしく生活できる日々なんて来なくなるのかもしれません。

一方で、今の国際社会は半分独裁者の存在を認めてしまっています。本当に真の世界平和を目指すなら、それには「自由」と「民主主義」が必要で、本来ならばそれを否定するような独裁者たちは世界から排除しなければならないのです。

1980年代前半「米ソ新冷戦」時代にレーガンが放った「悪の帝国」演説は、まさに今の米中対立にも当てはまるのではありませんか。中国共産党は、中国という大きな国家を利用して自由を弾圧し(悪)、対外拡張を図っている(帝国)ように見えます。

今の米中対立を、超大国同士の覇権争いと観察するのは、大きな誤りです。本来ならそこに「自由主義国家」「人権を弾圧する独裁国家」の構図が見えているべきなのです。

日本などが米国と行動を共にして、それと同調するのは、決して「対米従属」だからではありません。日本も米国も、「自由」こそ揺るぎなく正しい人類の基本原則だと心に留めていて、日本は米国にそれを押し付けられた訳ではないのです。

いずれにせよ、これから日米がすべきことは、他のEUやインドやオーストラリア、そして台湾など他の人権を守る民主主義国家と連携して、中国共産党の動きを封じていき、中華人民共和国の世界覇権を握ろうという動きを阻止するということです。

そして、目指すべきは、未来を「誰もが自由を手にし、幸福と平和のうちに生きられる」世界にすることで、そのための希望は捨ててはいけないのです。

(2021.3.13起草)
(2021.4.4執筆終了)


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