2021年5月4日火曜日

【偽りの平和主義と戦う 第5回】独裁者に迎合する悪

 前回は、国の体制は、資本主義であろうと社会主義であろうと、とやかく人間ひとりひとりがみな人間らしく自由に生きられるか否かで良し悪しが決まってくる、といったような内容の説明をしました。そのうえで、第3回補足では、国の指導者や国家は独裁者であろうとそうでなかろうとに関わらず、国民に責任を負っている、といった趣旨の説明をしました。両回ご理解いただけたでしょうか。

今回は、もしあなたの住んでいる国が、独裁国家になってしまった時に、どうすればいいかというのを、私論ですが説明させていただきます。

まず、そうなる前の事についても説明しておくべきでしょう。独裁者がどのような経緯をもって誕生するかは、今まで世界の数百年の歴史を見ていっていればもう明らかなことです。以下の二つの傾向が存在します。

1.人々の絶大な支持を得て、権力を握った者
2.圧倒的な力を背景に、権力を握った者

1についてです。これは例を挙げれば、レーニンやムッソリーニ、ヒトラーなどが当たるでしょう。レーニンは、ソ連の実質的な建国者で、当時第一次大戦に参戦して、国民、特に庶民がみな貧窮していたロシア帝国に現れました。そして、帝政を倒して、社会主義体制にすれば、その貧窮から脱せると思った大勢の人々の支持を得たのです。当時、社会主義のイデオロギーは、まだどこの国も実践したことが無く(つまりソ連は世界初の社会主義国家)、みんなまだその制度の長点や短点を理解せず、よく考えもしないで彼を支持したのでした。彼自体はそこまで強権的ではありませんでしたが、それが後にスターリンなどと言った残忍な独裁者を誕生させることとなったのです。

イタリアに現れたムッソリーニも、レーニンと同じように、戦争により貧窮した中間層の人々の絶大な支持を集め、最終的にクーデターを起こし、人々がそれを支持するという形で、権力を得た者でした。しかしレーニンと違うのは、ムッソリーニは社会主義ではなく、「ファシズム」というイデオロギーを掲げたことです。ファシズムとは、全ての国民が同じ考えを持ち、全ての権力を独裁者に集中させるという考え方です。この時点で、ファシズムは一人ひとりの「自由」や「民主主義」を否定しています。しかし、当時はイタリア国民の大半が「ファシズム」という考え方を支持していたので、「自由」「民主主義というものは要らなかったのです。

ヒトラーは、皆さん知る通りドイツの独裁者です。彼は、ナチ党という政党を結成してファシズムを掲げると同時に、他の政党を禁止する一党独裁の体制を掲げました。当然、当時のドイツ国民が大半はこれを求めていたので、自由や民主主義は必要なく、これを否定するヒトラー率いるナチ党も自然と支持できたのです。


しかし、国民全員が同じ考えを持つ、なんてことはまず絶対にあり得ない話です。


これまでファシズムなどを紹介してきた中で、僕は「××国民全員が」なんて表現はしていません。その代わりに「大半が」などという言い回しを使っているはずです。「大半」がいるということは、それに対する「少数派」もいたのです。

ヒトラーが独裁を行ったドイツでの「少数派」は、「ユダヤ人」と「スラブ人」でした。ヒトラーは、多数派であったドイツ人の支持を得るために、ユダヤ人などを脅威とみなし、敵に回したのです。しかし、ヒトラーにとってユダヤ人なんて全然怖くない存在でした。当時、彼らは少数派で、さらに母国となる国がなかったのです(現在海外に住んでいる日本人の母国が「日本」なのに対し、ユダヤ人は国を持っていなかった)。ヒトラーは、自分が権力を得るために、ドイツ国民(ドイツ人)をだまして、脅威でも無かったユダヤ人を敵と見做して、選挙で勝ち、次第にドイツという国を独裁国家と化させていったのです。人々というのは、共通の敵がいればいるほど、団結して考え方が次第に一つになってしまいます。ヒトラーは実際にも、ユダヤ人たちを強制的に収容したり、労働を強制したり虐殺したりしました。そうすることで、さらなるドイツ人たちの支持を集めようとしました。

当然ながら、ユダヤ人たちは集団的にも何の犯罪も犯しておらず、ただそこに住んでいるだけで連れていかれたり、殺されたりというのは、もう誰もが異常視するのは必然的です。しかし、ドイツ人たちはそういう虐待されるユダヤ人たちを見て同情しても、何も異を唱えず、静観していたのです。先ほど、「ヒトラーはドイツ人たちをだまして」との表現をしましたが、それはあえて撤回したいと思います。誰もドイツ人たちは、ユダヤ人を虐殺すべきでないということは分かっていたはずです。しかし、彼らは、自らの保身などのためから、ユダヤ人の肩を持たず、その代わりに独裁者を称賛したのです。

「1」の原因で国が独裁化していくのは、一口に独裁者が悪いという訳ではありません。ヒトラーは選挙で勝った時点で、大半のドイツ人は本当にユダヤ人たちを虐待なんてさすがに大げさだと考えていたと言われています。問題は、何も考えずに大勢で彼を支持した国民にもあるはずです。

まず、自分たちの国を独裁化させないためには、指導者の候補たちがそれぞれ実際にどのようなことをしようとしているか情報を集めて、自分で分析すべきです。当然、全ての情報の正否は分かりません。ただ、一つ言えることとしては、先ほども言いましたが、集団の中で、その全員が同じ人を支持するなんてことはあり得ないということです。大勢が無条件に支持している人物は危険です。逆に、賛否両論ある人の方が、正しかったりするのです。後者のほうは、正常な言論の自由が働いてることで、多様な意見が出回っているのです。

人々が、何も考えずに危険な独裁者を選び出し、独裁者が自由や人権を制限したうえで、罪を犯すというのは、独裁者だけの罪ではありません。自分の保身のために、独裁者を容認し続けるというのは、悪であり、罪です。確かに、個人では独裁者に勝てません。しかし、「自由」や「民主主義」が大事だということは、人々は人間として生まれたのだから本能的に分かっているはずです。ですから、他人と団結し、連結すれば、独裁者を倒すことも不可能ではありません。


今回は、大勢の支持によって選ばれる独裁者の危険性と、そういった場合にはそれを選んだ人々にも責任があるということをお話しました。ここでまとめたいと思います。


まとめ⑤

  1. 独裁者が生まれる過程については二通りあり、一方は「大勢の人々の支持によって」、もう片方は「圧倒的な力を背景に」して権力を奪取する。
  2. しかし、人々全員が同じ考えを持ち、同じ人を支持するなんてことは絶対にあり得ない。「大勢の支持によって」、独裁者が誕生してもこれは決して許されるものではない。なぜなら、必ずそこでは少数派が虐げられているからだ。
  3. そして、自らの保身のために、分かっていながら独裁者に迎合して容認することこそ悪を生み、罪を生むのだ。
次回予告
次回第6回では、「圧倒的な力を背景に」権力を奪取する独裁者への対処法と、自由と民主主義をを守るために持っておくべき大切な考え方について説明していこうと思います。


(2021.3.17)



0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントを投稿される際は、未来ノートの「運営方針」に示してある投稿ルールを確認していただいて、それを遵守されるようお願いいたします。投稿内容によっては、管理人が削除する場合があります。

選抜記事

多数決文化との決別【未来ノートコラムA・第12回】

多数派がいつも正しいとは限らない、それはいつだって  小学校の算数の授業で、アナログ時計は一日に何回長針が短針を追い越す(=重なる)かという問題が出されたという。選択肢は、21回、22回、23回、24回、25回の5つであった。 当然ながら、答えは22回である。算数的なテクニックを...

多読記事