2021年5月5日水曜日

【偽りの平和主義と戦う 第6回】自由人の力

 前回は、独裁者が誕生するには、次の2通りがあるかと言って紹介したと思います。

1.人々の絶大な支持を得て、権力を握った者
2.圧倒的な力を背景に、権力を握った者

今回は、このうちの「2」についてと、結局その独裁者から、われわれが人間らしく生きるために必要な「自由」と「民主主義」をどのようにして守ればいいのか、どのような信条を以って守ればいいのかということについて、実例を通じて、僕自身の説明したいと思います。

まず、「圧倒的な力を背景に」権力を得る独裁者、とはどのようなものなのかについて言っておこうと思います。

僕は、これに当てはまる例として、「軍の力によって一国の権力を得た独裁者」と「前の独裁者の後継として選ばれた独裁者」の2つを想定しています。

まず、前者の例ですが、これはもう狙ったかのように本当に直近に発生した事例があるので、それを例にして説明していきましょう。第2回でも、少し言及しましたが、2021.2.1に発生した、ミャンマーでの国軍によるクーデターです。これにより、今まで民主主義を推し進めてきた、アウン・サン・スー・チー国家顧問を初めとする政府の要人たちが次々の行動の自由を奪われ拘束されたのです。この断じて受け入れられない国軍の行動に対して多くの民衆たちは、デモ行進をしたりと行動を起こしました。しかし、あろうことか、国軍はそのデモをした国民に対して銃口を向けたのです。クーデター後数日経ち、一人の若者が犠牲になりました。そして、その一人だけでなく、日ごとにだんだんと国軍による死者は増えていき、今では一日に二桁の人が国軍により死亡する事態となっているのです。

こんなにも多くの人たちが、デモをした所で殺されているのにも関わらず、人々はまだ自由、そして民主主義を求める活動をやめていません。そんな彼らの勇敢さには、本当に僕は敬意を表したいと思います。本当は絶対に彼らは死にたくないでしょう。絶対にまだ先にある長き人生の希望を失いたくないでしょう。それなのに、人々、特に若者たちは抗い続けているのです。

本当にここで改めて自由を求める人々の力を僕は思い知りました。ある日突然自由を奪われた人々が、どのような行動をとるのかというのが、この事例を通じて理解できました。そうした上で、僕はミャンマーに一日でも早く自由と民主主義が戻り、そして更に従来から問題になってきていた少数民族への弾圧を、彼ら若者たちの手によってやめさせることを願っているのです。

では、もし人間が、生まれてきた瞬間から自由を奪われていたらどうでしょうか。

独裁者が死ぬときに後継の独裁者に権力を渡し続ける、といったような体制をとっている国々では、まさにそこに住んでいる人々は、生まれた時から大人になるまで「自由」が無く、「民主主義」というイデオロギーなんて知らないでしょう。しかし、そんな独裁国家の住民でも、ちゃんと自由や民主主義について少しでも触れられる機会はあるはずです。

残念ながら、第3回でもお話したように、ほぼ全ての独裁者は自分たちに都合の悪い情報が、国民に知れ渡らないように情報統制を行っているのです。小さい子供には、「自由」「民主主義」を教える代わりに、独裁者がすべて正しいなんてことを教える洗脳教育を行っています。

特に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、それが顕著です。すべて国民は金一族という独裁者一族を崇拝し、少しでも政府を批判したら死刑になるという、恐ろしい国家です。人々は人間らしい生き方を少しも出来ず、ただ上(金一族)からの命令に従う奴隷のような存在としてそこで生活しているのです。しかし、これはかつてのことでした。とある脱北者(北朝鮮から、自由を求めて韓国などに亡命した人)の証言によると、金一族三代の独裁者のうち、祖父の金日成への人々の崇拝度を100とした時、現在の孫の金正恩への崇拝度はたった30だということです。どうやら金正恩への民衆の不満は定かではありませんが、ここ最近特に激しく、そして彼らも自由に気付いているようなのです。

「自由」を否定することが間違っているのは、これらの例を見れば明らかなことです。どんな独裁者でも、国から「自由」を掃き出してしまうことは出来ないのです。

将来北朝鮮の人々がどのような形で自由を得るかはまだ分かりません。ただ、やはり北朝鮮の住人の間でも自由について知る動きが高まってきていると言えるでしょう。希望は膨らみつつあります。

一方で、自由を求めることに失敗した地域もあります。香港です。香港では、2019年6月の逃亡犯防止条例の改正案が提出されたのを機に、人々が今まで持っていた自由が奪われるのではないかと危惧し、立ち上がったのです。そして、多い時には200万人もの人々が路上に出てデモ行進をし、行政長官までもが謝罪するという事態に発展したのです。この時、一部の人々は、議会に押し入ったり、警察を襲ったりしました。議会や警察には既に民主派は排除されていて、自由を求める人々に立ちはだかる壁となっていたのです。このように、「非」平和的に行動を起こした人々は、「香港の価値を落せば、香港を間接的に支配している中国共産党や中華人民共和国は、その事態の重大さを恐れて我々に再び自由を与えるだろう」と考えたのです。

しかし、結局昨年7月には「国家安全維持法」という逃亡犯防止条例には比べ物にならないほどの、自由を弾圧する法律が施行されてしまいました。香港の人々の求めを阻んだのは、COVID-19の流行でした。COVID-19によって、人々が声を挙げられなくなったのを機に、北京の中国共産党と、香港政府が一気に言論弾圧の大攻勢を仕掛けたのでした。

でも、香港の人々が失敗したのは、彼らが「非」平和的な活動をして、返って中国共産党などの怒りを買ったから、では絶対にないと思います。彼らは香港がどうあろうと、やがては中国共産党の独裁者の地位を維持したり、増大したりするために、「国家安全維持法」なる法規を制定しようと長きにわたって企んでいたのではと思います。

香港でのデモの時、それに対する警察の対応は催涙ガスを出すなど暴力的な物でした。それに対して、ずっと平和的にデモを行っていれば、たちまち自由と民主主義を求める動きは封ぜられてしまいます。もし独裁者が、自由を求める自分たちを暴力をもってして、その動きを封ぜようとしているならば、最終手段として、彼らのように自分たちも武器を出して戦う覚悟を持っておくべきなのではないでしょうか。


こんなところで今回はまとめたいと思います。

まとめ⑥
  1. 人は自由が突然奪われたとき、それを取り返すためならば命をも懸けるであろう。
  2. どんなに情報統制や洗脳教育を行っても、人間にもともと備わっている「自由」を知りたい、求めるといった本能がある限り、独裁者は「自由」を国から一掃することは出来ない
  3. もし自由を求める自分たちに対して、独裁者がその動きを封ぜようとしているならば、自分たちも武器を持って立ち上がる覚悟をすべきではないか。
(2021.3.17)

2 件のコメント:

  1. 香港の件、ミャンマーの件、全く同感です。自由の価値は失ってはじめてわかるもので、命をかける人がたくさんいるほど重要な価値だと思います。「全体主義の起源」という本を書いたハンナアーレントは、政治の目的を「自由の創設」だと考えました。

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    1. コメントありがとうございます。人は意外にも自由を奪うものには立ち向かうんですね。
      ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』の発表も、全体主義を振り返り、その真相について研究する一つの転換点となりましたね。今後はこのシリーズが終わったらこれに関するシリーズも書いていこうと思います。

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