2022年1月23日日曜日

明らかに中心にいるのは…

 のび太のテストの点数と言えば0点。のび太の腕力はジャイアンの3分の1にも満たず、しずかの半分しかない。意志も薄弱である。そういう点から、のび太は日本で最もダメな小学生だというイメージは多くの人が持っている。でも、原作者藤子・F・不二雄は、のび太のモデルは藤本自身だと語る。確かに、彼は小学生時代スポーツが苦手で意志も弱いところがあったと語っている。ただ、藤本自身がのび太のイメージのように日本一ダメな小学生のような存在だったかと言えばそんなはずはない。

のび太が作中でより愚かしく弱弱しく描かれるのは、ギャグの側面もある。もし日本一ダメな小学生なら、読者からは嘲笑され、共感の対象とはなり得ない。多くの読者が彼を主人公と認識したのは、より多くの読者の姿がのび太の姿に体現されているからではないだろうか。表向き、ほとんどの読者たちは作中ののび太の姿を見て嘲笑し、バカの典型例として語り継いでいるかもしれないが、心の底では共感の想いを寄せている。のび太は、日本一ダメな小学生ではなく、日本一ありふれた小学生なのだと思う。

のび太のような存在が読者層に多かった一方で、彼らの周りには時折特異な性質を持った人物がいる。それらの特異性を最大限に顕したのが、しずか、スネ夫、ジャイアン、出木杉…など個性あふれる脇役キャラクターたちだろう。つまり、読者がたまに出会う特異な人物が、のび太にとってのしずかであり、スネ夫であり、ジャイアンであり…というように、『ドラえもん』の物語は、全体として非常にのび太中心に創られているのである。逆に、こういったのび太以外のキャラは現実に存在する可能性は低く、のび太より読者の共感・感情移入を受けにくいのだ。

作者藤本自身は、1989年にこの作品の主人公はドラえもんと語っているが、こういう作品構造的な観点でいえば明らかに主人公はのび太であり、ドラえもんたちは異世界の存在である。もちろん作者の意向にここで逆らうわけにはいけないので、そういうことにしておくが、それにしても難しい問題である。ただ、半ば自然に成立する物語の主人公は誰だと決めてしまうのは、考察の余地がなくてつまらない。

以上が、ドラえもん主人公問題に関する私の見解である。

(2022.1.23)


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