この記事では、私が「未来ノート」の各記事を書くにあたり、共通して意識している文章の書き方に関してお伝えしよう。正直、私は今まで文章を書いていこうと思う中で、文章に表して内容を伝えたいのにうまく表せないという経験をしたことがあまりない。伝わるかどうかは別としても、書きたい内容がどのような文章形式を使えば表現できるか、あるいはどうすれば後悔しない程度の上手な文章を書けるかについて、いくつかのポイントに抑えて自分でも常に意識している。
ここでは以下の3つに分けて述べていこう。
- 文法的なミスをしない
- 文頭表現を大切にする
- 文末表現を大切にする
文法的にミスをしない
言ってしまうと、文法的なミスを一つでもしてしまえば、その文章は悪い文章だと言わざるを得なくなると考えている。なぜなら、既に日本語の文章として認識されないからだ。
私が特に意識しているものを一つ挙げると、まず「連用修飾」と「連体修飾」の違いをはっきりさせることが重要だと感じる。「連用修飾」とは、動詞や形容詞を含む用言を修飾する言葉のことで、「静かに眠った」の「静かに」、「とても美しい」の「とても」などがその例だ。一方で、「連体修飾」とは、名詞すなわち体言を修飾する言葉のことで、「美しい人」の「美しい」などが挙げられる。また、この連用修飾をする言葉の語尾には「~に」、連体修飾をする言葉の語尾には「~な」「~の」がそれぞれよく使われる。そういうポイントを抑えたうえで、これらの違いを混同させてはならない。
例えば、「すごく良い」を「すごい良い」と表現するべきではない。「すごい」という言葉は連用修飾のための言葉だからだ。これは典型的な日本語の誤用として例示させられることが多い。
他にも、文法的なミスと言えば、「ら抜き言葉」や「さ入れ言葉」が考えられる。「このシチューを食べれますか。」「私にこれを手伝わさせてください。」のような表現は、日常会話などで使いがちだが、完全に助動詞の使い方が間違っており、良くない。況わんや書き言葉では尚更使うべきでない。
文法というのは、どんな内容でも日本語で表現できるようにするためのある種の巨大なシステムで、どんな内容でもこれを使って規則正しく文章にして我々はそれを書き表せるようになっている。それを誤った時点で、その日本語は規則から外れており、美しくない。あるいは、読み手に意味、特に助動詞のミスだとそのニュアンスが正しく伝わらないかも知れない。非常に重要な要素だと認識して欲しい。
文頭表現を大切にする
私は語彙力にはなかなか乏しいもので、文章の内容自体は面白味は少なかろう。ただ、その反面、文頭に使われるような接続詞やそれに準じる定型語彙に対する語彙力はかなり重視している。
一気にたくさんの物事を説明したいとき、「まずは」「次に」「最後に」といった順序を示す時がある。しかし、その説明したい事柄がもっとたくさん有ったとなると、
- 1段落目 「まず、………。」
- 2段落目 「次に、………。」
- 3段落目 「また、………。」
- 4段落目 「また、………。」
- 5段落目 「また、………。」
といったように、接続詞の語彙力が弱いゆえに、複数の段落の始めに連続して同じ接続詞を使ってしまうなんてことが起こる。そうなると、見栄え的にも悪いし、やはり語彙不足を曝け出すことに変わりはないので、文章が幼稚に見えてくる。だから、これに関しては文頭に限らず言えることだが、同じ表現を連続して使わないのと、こういう時は同じ意味を表す語彙を複数用意しておいた方がいいということを意識しなければならない。
もちろん、これが普段日常生活で使われ得ないような難解な語彙である必要はない。でも、いつも文章を書いていないと、まずこういうところのバリエーションの豊かさが失われていってしまうのだ。
文末表現を大切にする
同様に、文末表現のバリエーションも豊富に持っている方が幼稚な文章とは思われないものが書けるだろう。例えば、
私の名前は山田太郎です。私の父親は会社の社長です。私の母親はとても美人なことで有名です。私はいつも散歩に行くことが趣味です。道端で季節の花を毎日見るのが楽しいです。
というように、文末がずっと同じ表現で終わると、平坦な文章でつまらないという印象を読み手が受けてしまう。これに関しても、同じ表現が連続することは避けるべきではないだろうか。私の「未来ノート」の文章では、以下のように文末表現になり得る候補をいくつも用意している。
- Googleは世界的に利益を上げているサービスである。
- 欠かさず睡眠をとるのは今の君にとって重要なことだ。
- 今年はあの球団が優勝することは確実だろう。
- あの少女は今朝駅にいた子と思われよう。
- 列車が君の邪魔をするのだ。
- 原因は管理者の不注意にあるのではないか。
本日は運動会ですが、強風のため交通に大きな乱れが生じ登校できない生徒がいますが、予定通り競技を実施する予定です。
の文章のように、 同じ接続助詞を連続して使い、文章を区切るのは、非常に醜く見え、なおかつ読みづらいので、回避すべきだ。当然ながら、この文章を一読してみれば、書いた本人も明らかに変な文章であることに気づくはずだと思う。おかしな文章にはおかしな印象が持たれる。だからこそ、自分が書いた文章を書いた後にもう一度一から読む、出来れば声に出して読んでみることが勧められているのだ。
(2022.3.31)
>.これらの文末表現はどれも同じニュアンスを伴うわけではにことに注意して欲しい
返信削除タイプミス見つけました
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。
削除さすがです。ブログ主さんの文章力の高さの秘訣を垣間見た気がします。今はなるべく多くの情報を取りたくて雑読し、コメントも「時短」を意識して、「伝わればいいや」という気持ちで、ミスを知りながら訂正もせず、パッと書いて終わりにしていたわたくしにとっては大変耳が痛いですが(笑)、反省したいと思います(笑)
返信削除ところで、本当は今日は、ドラえもんシリーズをじっくり読もうと思っていたのですが
こちらのブログに入ったとたんに、雑用(電話が入ったりetc)が重なって、ドラえもんシリーズに入れないまま終わってしまいそうです。でもドラえもんシリーズ実は楽しみにしていて、お盆前までに必ず読了したいと思っています(面白いしね^^)
お褒めの言葉ありがとうございます。
削除個人的に感じることとして、現在の世代の国語力の低下がSNSやインターネット世界でトラブルを招いていると思うのですよね。語彙力の低下は使える単語の候補を減らし、表現できる意味内容の範囲を狭めたり、あるいは僅かなニュアンスの差を作り出すことが難しくなります。
それが時に読み手の大きな誤解に繋がる可能性が生じます。だからネット世界では話し言葉ではなく書き言葉を使うべきなのでしょうけど、それがなかなか求められるべき部分で浸透していない現状には課題があります。
……
ドラえもんに関する記事も、別の記事も、読むときはいつでも結構で、そもそも需要を強要するものではありませんし、自由にいつでも読んで頂けるように記事は作っていますので、大丈夫です。
ご健やかにお過ごしください。