2021年4月30日金曜日

【偽りの平和主義と戦う 第3回】人種とイデオロギー

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行が頂点にあるなか、中国共産党と中華人民共和国政府は、米国のトランプ大統領(当時)やポンぺイオ国務長官(当時)が、中国ウイグルにおけるウイグル人の強制収容や、香港での言論弾圧について厳しく追及していることに対して、「イデオロギーの偏見を捨て去るべきだ」などと反発しています。ここで気になるのが、「イデオロギー」という言葉です。イデオロギー、この言葉は、人によって解釈がずいぶん異なり、Wikipediaには美濃部達吉やマルクスが述べた「イデオロギー」という概念の解釈について書かれています。それはさておき、簡単に言ってしまえば、「イデオロギー」とは、「資本主義」「民主主義」「共産主義」などの「××主義」などといった感じのものと捉えてだいたい間違いないでしょう。

それを踏まえたうえで、中華人民共和国などの政府が頻繁に口にする、「イデオロギーの偏見を捨て去るべきだ」という発言の真意に迫っていきましょう。

まず、この発言が誰(どこ)に向けられているものかを見ていきます。この趣旨の発言は、戦狼外交として知られる趙立堅外交官が記者会見で口にしたり、習近平主席が公の場で声明として出したりしたものです。当然、彼らの「外交官」「主席」の肩書から想像するに、これらの「イデオロギーの偏見」発言は、米国に向けたものだということがわかります。

そして、この発言の前提にあるものを探っていきましょう。米国と中華人民共和国の簡単な歴史を見ていきます。

米国は、第1次大戦に参戦したのに全く被害を被らなかったり、兵器をヨーロッパに売ったりなどした結果、圧倒的超大国の地位に躍り出、その後の世界恐慌にも柔軟に対応したことから、資本主義や民主主義の体制が維持でき、そのまま今に続きます。この「資本主義」「民主主義」が米国のイデオロギーに当たるものと言っていいでしょう。

中華人民共和国は、第2次大戦後、元来そこを治めていた資本主義の中華民国という国を締め出して、中国大陸をほとんど支配下に収めました。そして、政府のバックには、「共産主義」をかかげる中国共産党がいて、そこには絶大な権力が集中していました。そして、中国共産党内の権力闘争や、独裁的な施政などを経て、現在の経済成長が実現しました。この「共産主義」「一党独裁」(中国共産党だけが政党として存在していいというイデオロギー)が、中華人民共和国のイデオロギーと言えます。

そして、この中華人民共和国と同じイデオロギーを掲げていた国がかつて存在しました。それがソビエト連邦です。ソビエト連邦は、中華人民共和国や北朝鮮などのボス的存在で、異なるイデオロギー、つまり資本主義や民主主義を掲げる米国と、直接戦わないながらも対立しました。これが「冷戦」です。

では、なぜ異なるイデオロギー同士の国は、互いに対立し、同じイデオロギー同士の国は同盟したり友好関係にあったりするのでしょうか。

それは、その相手の国から自分の国へ、イデオロギーが「流入」したら困ってしまうからです。例えば、戦前の日本の例は分かり易いかもしれません。当時、日本の帝国政府は、「天皇制」「資本主義」というイデオロギーを掲げていました。しかしそこに「共産主義」というイデオロギーが入ってきたらどうなるでしょうか。共産主義は「君主制の廃止」「資本家の打倒」を主張しています。もし、戦前の日本で共産主義のイデオロギーが広まったら、当時の国家の体制(国体)が崩壊してしまうので、政府としてはとんでもないことなのです。だから、当時の政府は、共産主義を規制し、それを宣伝した者は逮捕されました。さらに、「共産主義」の親玉であるソ連とは対立しました。これはあくまで例話で、他の国(戦前の日本だけでなく、他のイデオロギーの国)でも起こる話です。ただ、このように、各国の政府は、自国の体制を維持するために、他国のイデオロギーの流入を防いだり、イデオロギーを唱えることを禁止したりなどの「よそ者イデオロギー対策」に奮闘していたのです。

しかし、「民主主義」を掲げる国に、「共産主義」などの他のイデオロギーが流入しても、「民主主義」の体制が崩れなかったりすることも多々あります。このようにイデオロギー同士にも強弱があるのです。なぜ強弱があるのかというのは後にして、中華人民共和国政府の人々の「イデオロギーの偏見」発言の話に戻りましょう。

米国は、中華人民共和国における、ウイグルや香港などの問題を厳しく追及する中、中華人民共和国の掲げる「一党独裁」のイデオロギーについても同時に批判しています。中国共産党という唯一認められた政党に、権力が集中することで、独裁政治が行われ、その結果これらの諸問題が起きているといったのです。

それに対して、中華人民共和国政府などは「イデオロギー的偏見を捨て去るべきだ」と反論したわけです。つまり、言葉を分かり易く分解すれば、「我々の『一党独裁』というイデオロギーが悪いというのは偏見であり、米国が掲げる『民主主義』のイデオロギーと平等である」となります。そして、中華人民共和国の報道は、これに加えて「我々は米国の『民主主義』のイデオロギーを批判していないのに、米国が一方的に我々の『一党独裁』のイデオロギーを批判するのは、米国がイデオロギーで差別を行っているからで、非常に不合理だ」と主張しているのです。当時は、米国ミネソタ州ミネアポリス市で、1人の黒人男性が警察官に首を抑えつけられて死亡するという事件が発生し、それを発端に世界的に人種差別への抗議が深まっていた時期でした。中華人民共和国の政府などは、「人種への偏見」や「人種差」をしてはいけないのと同様に「イデオロギーへの偏見」や「イデオロギー差別」もしてはいけないと言うのです。

さあ、このロジックが本当に正しいと思いますか??

誰でも白人に生まれるか黒人に生まれるかそれとも黄色人種に生まれるか、それは結局「生まれつき」になり、個性として大勢に受け入れられるべきです。でも、大勢の口を封じて民主主義を抑えつける「一党独裁」などのイデオロギーが、「民主主義」より素晴らしかったり、同じくらい価値があるなんて到底思えません。なぜでしょう。

現に、こういうイデオロギーというものは、人種のように「生まれつき」ではなく、誰でも新しいことを学んだり、発見したりすることで、変化するものです。誰でも考えを変えることが出来るのです。そして、自分のイデオロギーを自発的・主体的に変えることを「転向」と言い、無理矢理変えさせることを「洗脳」と我々は呼んでいるのです。

結論を先にいえば、民主主義や(言論の)自由は、今まで人類が発明した(民主主義は古代ギリシアで発明されたとされる)イデオロギーの中で、最も優れたものだと私は考えます。

誰でも人間として生まれれば、何にもないところでは自由に口を動かしてしゃべったり、手足を動かして歩いたり走ったりできます。しかし、人間は、1人では生きられず、必ず誰かの傍には、もう1人他の誰かがいます。そして、1人の人が手足を動かしたせいで、もう1人がしゃべれなくなったり、など他人の出来ることを出来ないようにしてはいけないのです。

普通人間は生まれた時点で自由に言動出来ます。でも、それをすることで、他人の自由を奪ってはいけません。他人の自由を奪うような言動は法律で禁止されます。これが、「自由」というイデオロギーです。

これに対して、「一党独裁」というイデオロギーを守ることによる「言論弾圧」は、全世界の人間が生まれつき持っている自由の権利を否定しているのです。

そしてもう一つは「民主主義」についてです。民主主義の対義語は「独裁」です。そもそも民主主義とは、どういうイデオロギーでどういう体制なのかというと、国家という意思を本来持たないものに、その一部である国民の意思を被せるために、その「意思」を調査するためのものなのです。ですから、究極の民主主義(ここでいう「究極」は「理想」という意味ではない)は、全ての人の意見を聞き取り、全て採用するというものです。しかし、全ての人の意見を採用するのは困難極まりないことです。更に、知能を持たない人々が意見を出しても、それで本当に国家がいい方向に傾くかは分かりません。そこで、現在の民主主義は、その「知能を持たない人」を排除して行う「独裁」を一部取り入れています。例えば、日本では選挙権年齢が決められていて、18歳未満の人々は選挙(意見調査)に参加できません。なぜなら、18歳未満の人々は、先ほどの「知能を持たない人」に当たるからです。このように、日本でもどこでも世界の民主主義国家では、一部「独裁」を取り入れた民主主義が実現されているのです。先ほど「民主主義は独裁より優れている」といったようなことを言ったので、聞こえは良くないかもしれませんが、国家を良い方向に傾かせるための「独裁」は許されるのです。

でも、許されない独裁もあります。それは、「『自由』を制限する独裁」です。他人の自由を奪うことを目的としている人々以外の(=言論)は、全て何かしら国家などの社会を良くしたいという考えの下発せられています。ですから、国家を良い方向に傾かせるために仕方なく「独裁」をしているのに、その「独裁」をしている権力者が、社会をよくしたいと考えている言論を弾圧するというのは、大いに矛盾しているのです。

残念ながら独裁を行う権力者(独裁者)やその取り巻きは、いったん権力という物を手に入れると、自己中心的になり、権力という物を手放したくなくなり、次第に自分の目的が「国家を良い方向に傾かせる」ことから「自分の地位を維持する、もしくは増大させる」ことへと変化していくのです。ですから、世界的にも「国家をより良い方向に傾かせる」ために独裁を行った愛すべき独裁者は極めて稀、ということになります。

たびたび、今の米中対立は、メディアなどで「民主主義国家」vs「独裁強権国家」などと表現されることがあります。しかし、民主主義は自由(特に言論の自由)の下に成り立っていて、独裁者は普通同時に言論を弾圧します。つまり、さらに皮をはがせば、今の米中対立の構図は「自由主義」vs「言論人権弾圧」というように見えます。そして、自由こそが人類の中の最も認められるべきイデオロギー(普遍的価値観)なのだということを理解してください。


長くなりましたが、今回はここでまとめさせていただきます。第4回以降も楽しみにしてください。

まとめ③

  1. 「資本主義」「社会主義」など、「××主義」という物をまとめてイデオロギーという。
  2. 各国にはそれぞれイデオロギーを持っており、他国の異なるイデオロギーが自国に流入すると、自国の体制は崩壊する恐れがあるので、各国の政府はそれを厳しく規制する。
  3. 中華人民共和国政府のよく言う「イデオロギー的偏見はやめるべきだ」というのは全く正しくない。人種と違って、イデオロギーは平等ではない。
  4. 人類は生まれながらにして、他人のそれを侵さない限りの自由を持っている。言論弾圧は、そういった人類の権利(人権)を不当に侵す、独裁者の手段の一つである。
  5. 民主主義を究極な形で実現するのは今のところ非常に困難で、一部「独裁」を混ぜることで、国家を良い方向に傾かせることができる。
  6. 悪しき独裁者は、国家を良い方向に傾かせるという名目で、本当は国家や社会をよくしたいと考えている言論を弾圧する。それは許されない「独裁」だ。
  7. 結局、民主主義のためには自由が存在し、独裁によって、自由など人権が弾圧される。自由こそが人類が持つ普遍的価値観である。なぜなら、それは人間が生まれながらにして持っているからだ。
★次回予告★
今回は、とても内容が膨らみ、長くなってしまいました。うまく理解できなかった人もきっと多いと思うので、次回第4回は、今回の内容をより分かり易く説明していきます。
なお、文中では「独裁」という言葉を、本来の用語とは異なる意味で使用しています。そこのところを注意してください。

(2021.3.14)


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