2021年5月6日木曜日

【偽りの平和主義と戦う 第7回】民主主義の覚醒

 さて、前回僕が言いたかったのは、もし自分の住んでいる国が独裁国家になった時に、独裁者が武力を用いて我々の自由を奪おうとするのなら、まわりの人たちと一緒に武器をとって彼らに抵抗するべきだ、ということでした。

でも、やはり暴力を使うのは気が引けるところですよね。暴力を使って、抵抗して死んでしまったら元も子もないとあなたは思うのではないでしょうか。更には、暴力を使えば当然相手側にも死傷者が出たりして、平和的精神に反するのではと思いますよね。

でも、あなたがそう思うのは、もしかしたらこの平和で自由が維持されているこの国・日本にずっと住んでいて、それが当たり前だということに慣れてしまい、自由や民主主義のありがたみが薄れてきてるからではありませんか?

最近の日本の選挙の投票率というものはものすごく低いという報道で、確かに教科書にも最近の衆議院総選挙の投票率だったりすると、なんと50%を割ってるなんていう値も見られます。これを読んでいる方々も、選挙権をお持ちになっていながら、選挙には行っていないという方もきっと多いと思います。

なぜ日本の投票率がそんなにも低いのか、それは選挙に行っても何も変わらないと人々が思っているから、とよく言われます。そうなんです。最近では、政治に興味を持たない、どうせ自民党でしょ、なんて思っている若者が増えているそうです。実は、最近の日本では、政治家たちが何か政策を実行しても、そういった若者を始めとする国民生活への影響が全然ない、というのが現在日本の人々の政治関心が薄い理由などではと僕は考えます。しかし、逆に言えば、政治が誰を選ぶかによって、国民に大きな影響を及ぼす時に、人々の政治への関心が高まります。

その事例が実際にあります。

2020年1月に行われた台湾総統選挙です。この選挙では、現職で、中華人民共和国への統一に反対する民主進歩党(民進党)の蔡英文総統と、対する親中派の中国国民党の韓国瑜との間で争われた結果、蔡英文総統が、800万票を越える票数を得て当選したのです。投票率は前回より8ポイント増えた74%で、台湾の人々の政治への関心が非常に高まっていたことが窺われます。

背景には、香港での民主主義の危機でした。当時はまだ国家安全維持法は制定されていませんでしたが、20世紀末に中華人民共和国の間接統治下(一国二制度)に入った香港で今、約束されていたはずの自由や民主主義が奪われようとしていたのです。そして台湾が仮に、中華人民共和国の提案する一国二制度を受け入れれば、香港の二の舞になると危惧したのです。そして、中国国民党の韓国瑜候補は、もともと親中派で、一国二制度にも迎合的だったので、彼を絶対に当選させてはならないと思った人々が、多く投票所に向かったのです。

このように、民主主義なんて結局みんな無関心になって、制度として成り立たないじゃんと思うのは良くなく、むしろ民主主義は、国民の自由が危機に瀕した時に覚醒して本来の役割を果たすのです。日本はまだ民主主義や自由は全然機能していますが、近い将来危機に陥るときがあるでしょう。その時にどれだけ人々がそれを察知して行動を起こすかに、日本で自由が守られるかが懸かっているのです。

そして、再び話題を戻しますが、もし本当に独裁政権が誕生してしまい、我々の自由や人権を武力で弾圧しようとした時に、われわれが如何に挫けずに勇敢に抗うかが、それを阻止する要になってきているのです。確かに日本では、今まで70年以上日本国憲法がちゃんと守られてきたので、これから独裁政権が誕生する、と言ったことはなかなか起こり得ないかもしれませんが、今話しているのは、どこの国でも同じ、人類共通の話です。もし他に手段が無ければ、われわれも武力を使って独裁政権を打倒する、というやり方は、実は世界的にも国際社会からも認められてきたことなのです。

第5回にも話した通り、ドイツでは第1次大戦後、ヒトラーという独裁者が大勢の人々の支持を集めて誕生しました。この時、ヒトラーは当時「世界で最も民主的と言われた」ヴァイマル憲法の効力を、憲法の規定の裏をかいて停止します。あくまで憲法の規定によって、「民主主義」が崩壊してしまう…。思えば、人々が法律に従い、独裁者だけが法律に従わなければ、その独裁者はずっと権力を維持できてしまう。それを阻止するために、敗戦後のドイツ(西ドイツ)の憲法(厳密には憲法ではない)では、新たなイデオロギーが導入されました。

それが、「戦う民主主義」です。

「戦う民主主義」では、民主主義や自由を否定して、たとえ民主主義的な規定に沿ってでも、独裁体制を築こうとすることを固く禁じているというものです。もし、独裁者が民主主義体制を壊そうというものなら、自分たち民衆はそれに抵抗してよいという考えです。

でも、ここでチクッときた方もいるのではないでしょうか。だって、民主主義が成り立つには、言論の自由が必要で、「独裁体制を築こうとする」ようなことも、言論の自由で保障される権利の一つで、それが禁止されるのは、結局民主主義の考え方に反しているのではないか、と思いませんか?

しかし、そういう「独裁体制を築こうとする」というのは、「独裁体制を作って、人々の自由を奪おうとする」ということと同じですよね。そもそも「他人の自由を奪おうとする」言論は禁止されるべきだ、というのが自由主義の基本で、これは第3回でも紹介しましたね。さらに言えば、結局悪いのは、人々から自由を奪い、彼らを人間らしく生かしてくれない独裁者です。独裁者の自由を守れば、やはりわれわれに牙をむくこととなるのです。

こうして今まで、僕は「『自由主義』こそが、人々が人間らしく生きることを保障している、普遍的価値観だ!」などと言ってきたわけですが、そうすると、「でもやっぱり一番なのが平和だよねー」という声も聞こえてくる気がします。日本は戦争で負けた時に、戦争の悲惨さを痛い程味わいました。広島と長崎には米軍によって原子爆弾が投下され、何十万もの一般人が亡くなりました。だからこそ、もう二度と戦争をせず、戦争に巻き込まれない国にしよう、ということで、当時の政治家たちは、日本国憲法に9条を盛り込んだのでした。しかし、それを米国の都合によって今現在非常に曖昧になっている…、といったことは、第1回で解説しましたね。


それでは、今回はここでまとめたいと思います。

まとめ⑦

  1. 独裁者が力をもってして、自分たちの自由を奪おうとした時に、私たちが無抵抗であれば、たちまち彼らの独裁が強固なものと化してしまう。そういったとき、私たちも武器をもって抵抗する覚悟を持つべきではないか。
  2. たとえ民主主義の制度に乗っ取っても、独裁政治を行うことは許されない。もし、そういった者が現れた時は、民衆は武器をもって抵抗することも出来る。この考え方を「戦う民主主義」という。
  3. 普段日本では、人々の政治関心が薄く、民主主義なんて本当に必要なのか疑問に思うことがあろう。それは、その当時の政治の国民生活への影響力が薄いからであり、政治が生活に大きな影響を及ぼす、つまり自由が制限されそうな民主主義の危機に陥った時に、民主主義は火事場の馬鹿力を発揮する。
次回からはクライマックスに突入します。

(2021.3.18)

第8回を読む>>


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