2021年5月6日木曜日

具象化鏡【ドラえもん傑作ファイル・第2回】

 「具象化」とは、「ぐしょうか」と読み、大辞林によれば

観念や思想を具体的な形にあらわすこと。

という意味のようです。今回は、実際世の中に物質として存在しない、概念だけの「物体でないもの」を、「形を持った物」にして表現してくれる「具象化鏡」(ぐしょうかきょう)という道具が登場する短編について、あらすじ考察を述べていこうと思います。

●基本データ●
初出:「小学六年生」1986年3月号(最終話)
単行本:てんとう虫コミックス第39巻第20話
大全集:第13巻第72話(最終話)
アニメ化:1986年、2010年『のび太の耳にタコができる話』、2018年『キツネにつままれた話』

▲以下ネタバレ注意!


1.あらすじ

※前回は、あらすじ文途中に様々な僕の呟きを入れましたが、今回はささっと行きたいので、省かせていただきます。
※斜体は、『キツネにつままれた話』(2018.2.16放送)オリジナルカット。

のび太はいつものようにだらけてばかり。それに呆れたドラえもんは、「具象化鏡」という道具を出すと、それにスイッチを入れて、「ゴウゴウと流れる」時の流れをのび太に実感させたのだ。ドラえもんによれば、「キミがだらけている間も時は休まず流れていく」(引用1)というのだ。だがこれによって「タイムライト」の存在意義が失われてしまった。

しかし、彼によるとその日はテストがあり、珍しくも備えということで勉強したとのこと。だが結果は恐らく0点だという。それで結局やる気を無くしていつもと変わらなくなってしまったのだ。

そこでドラえもんは再び具象化鏡のスイッチを入れる。すると見事にのび太の周りに暗い「モヤ」が映し出され、ドラえもんはのび太が「暗い人」になっていることに気づく。のび太は具象化鏡の効果を不思議がる。すると、いきなりのび太の部屋からキツネが入ってきて、彼の頬をギュッとつねった。まさにのび太にとって「キツネにつままれた話」であった。

早速、のび太は具象化鏡のスイッチを入れたまま表に出ようとした。だがそこで玉子が彼を呼び止め、勉強せずにだらけているのを咎める。すると、のび太の耳がガンガン腫れるような痛みを伴った。これはのび太にとって「耳に痛い言葉」だったのだ。

いつまでの玉子のお説教には付き合ってられないのび太は、ドラえもんと共に外に出向く。すると道すがらスネ夫に出くわす。スネ夫によれば、自分は「今日もアイドルスター二人にデートに誘われて、どっちに行こうか迷ってる」(引用1)という。ところが、次の瞬間スネ夫の全身は真っ赤に変色する。そう、スネ夫の話は「真っ赤な噓」だったのだ。

スネ夫は却ってのび太に嘲笑われてしまい、恥ずかしい様子。しかし、彼らもまとめてジャイアンに野球の練習(ノック)を空き地でさせられてしまうことになる。だがそんなことに屈しないのがスネ夫の業。今度はジャイアンに付け込んで、自分は彼の近くで楽に彼に球をトスするという役を授けてもらった。更にスネ夫はジャイアンをおだて始める。するとスネ夫の持っていたグローブがすり鉢に変わり、ゴマをすり始めた。一方、ジャイアンのバットは葉っぱの扇に変わり、彼の鼻がニョーと伸びて、宙に浮き始めた。そう、スネ夫はジャイアンに「ゴマをするようなおべっか」を言い、それを聞いているジャイアンは無意識にも「天狗になった」のだ。

しかしジャイアンもさすがに自分が天狗になっているのに気が付く。宙に浮いていた体勢から、地面にドンっと降りると、スネ夫を問い詰める。スネ夫は誤魔化そうと、自分はジャイアンを尊敬しているんだと、更におべっかを続けるが、再びスネ夫の体が赤くなる。

「スネ夫、赤いぞ」

そう言われて、スネ夫はジャイアンにボコボコにされてしまった。

スネ夫の終末を見て面白くなったのび太は上機嫌を続けるが、そこでしずかを見かける。しかし、そこには出木杉も同伴していた。彼らは、この日のテストのことを話していた。すると、のび太の周囲が炎を出して燃え始めたのだ。これは、のび太の「嫉妬の炎」だった。

しかしのび太は嫉妬が行き過ぎて出木杉の能力を認め、自分の能力に絶望を感じ始めるようになった。すると、いきなり道に空いた穴に落ちてしまった。のび太は今、「絶望のどん底」にいるのだった。

そしてのび太の絶望は終わることなく進行する。体だけでなく、心も重くなっていた。のび太は「重い心」を負いながら、「重い足取り」を重ねる。そして、空き地の土管の上で「世の中真っ暗だァ!」、「胸も張り裂けそうな悲しみ」と言うと、彼の周辺が本当に漆黒の闇となり、ビリという聞こえの悪い音が鳴った。

するとそこに先生が現れる。のび太は叱られるのだと思って、既に落ち込んでいたが、先生はのび太が65点をとったことに感心し、彼を褒める。これによって、一気に先に「希望の光」が見え、「天に昇る心地」となり、「はずむ足取り」で道を進んでいった。


町は梅の花が満開だった。すると、遠くから

ズシン、ズシン、ズシン、

と、誰かの大きな足音が、こちらに近づいてくるような感じで聞こえてきた。


「あれは春の足音だよ」*1。ドラえもんはのび太にこう伝えた。



2.考察

何といっても、このエピソードが秀作だと評価できる点は、この、目には見えない慣用表現を、実際に現実に起こさせたらどうなるのか、というのを見事に表現しつつ、のび太の感情の移り変わりを豊かな漫画表現で描いているところであろう。

そして、ラストシーンの「春の足音」は、基本スタンスがギャグ漫画である『ドラえもん』の中では珍しいかもしれない、綺麗な類となっている。と言うのも、冒頭に示した通り、この『具象化鏡』は、「小学六年生」の3月号に掲載された作品で、小学生が読む最後のドラえもんとなっている。そのため、未来へ希望を感じさせたり、教訓的だったりする作品が掲載されることが多く、この『具象化鏡』もその一つなのだ。

それはともかく、作中で起こっている「のび太が0点を予想する」「のび太が出木杉に嫉妬する」などの事は、他の作品でも日常的に起こっているはずのことなのに、この「具象化鏡」という道具一つあるだけで、情景がガラッと変わるのだ。冒頭を除いて、登場人物たちはあまり具象化鏡のことを意識していない。本来ひみつ道具中心となる、他の作品と比べて異なるところの一つだ。

これらの表現技法、話の移り変わりなど含めて、この『具象化鏡』の話は秀作だと判断し、これをこの「ドラえもん傑作ファイル」の一つに挙げることにした。

(2021.5.6)

3.引用

(*1)藤子・F・不二雄、小学館『ドラえもん (39) (てんとう虫コミックス)』



前回:『大ピンチ!スネ夫の答案』

次回:『ぞうとおじさん』

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