2021年12月31日金曜日

2021年の最後に

 2021年、未来ノートの1年目の年も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。この2021年は私や日本や世界にとってどのような一年であっただろうか。この記事では、様々な観点から振り返っていきたい。

コロナと国内政治で見る2021年

2021年は、2020年から始まったCOVID-19の流行の2年目の年だった。2020年の春に始まったウイルスの流行、5月の末に緊急事態宣言が解除された時には、私も含めてさすがに2020年の終わりにはさすがに収束しているだろう、そう楽観的に考えていた。私や私の周囲の人は、今までこんな疫病の世界的な蔓延などほとんど経験したことが無かったからだろう。現実、我々はウイルスと年をまたいで抗戦しなければならなかった。宣言が解除された後、国内の感染者は再び増えに増え続け、2020年春の緊急事態宣言時(第1波)の感染者数の比では無くなった。東京の一日の感染者数が463人を記録した後、その後は落ち着いたかのように思えたが、GoToキャンペーンなどを政府が感染者数が増えてもなお継続したことによる国民意識の緩みなのか、感染者数はまたも増え続け、この年の大晦日にはついに東京の感染者数が1000人を突破してしまった。

ここまでが昨年の話である。これから東京の、いや日本のコロナ流行はどうなってしまうのだろうか、そうした不安を抱えながら大晦日の床に入った人も多いだろう。こうして、2021年を日本はCOVID-19の脅威に晒されながら迎えることとなる。東京の一日の感染者が2000人台を記録したころ、政府は遂に2020年の春に続く2回目の緊急事態宣言(第3波)を発出することを決定する。すると、これによって国民意識が締め付けられたのか、宣言発出開始時をピークにして、みるみるうちに感染者数は減り始め、東京の感染者数は3月までに300人台にまで落ち着いた。我々の多くは、このまま感染者はゼロになるのではと考えていた。

しかしそうはならなかった。東京の感染者数は300人台で横這い状態になり、丁度再び感染者数が増えそうになったところで、緊急事態宣言は解除され、新たに制定された「まん延防止等重点措置」に切り替えられた。今となって考えてみれば、この解除タイミングは最悪であった。国民意識が緩められ、今後の「リバウンド」、すなわち感染者数の再増加を助長することにつながったのだから。

案の定、東京の感染者数が300人台から増え始め、3月の宣言解除から1か月が経ったころ、つまり4月末に、菅政権は3回目の緊急事態宣言を発出することを決断した。これが第4波であった。この第4波は大阪などの関西地方で猛威を振るった。人口では圧倒的に首都圏の方が多いはずなのに、大阪の感染者が東京の感染者を上回ることも普通にあった。ただ、この第4波に関しても、緊急事態宣言により国民意識が締め付けられ、感染者数が減少傾向に移ったという現象が見られた。ここでやはり「まん防不要論」も発生した。

一方で、第4波のピークである2021年の5月頃になると、いよいよ開催まで後2か月に迫った東京五輪パラ開催是非に関する議論が活発化する。世論調査では59%を一時占めるなど、反対派が世論では優勢な地位を築いていたようだったが、五輪が近づくにつれて現実的にも五輪開催回避は難しいと感じた人が増えてきたのか、何となく五輪をやろう、やり過ごそうというムードに変わっていったと思う。当然政府や都、関係者の判断は覆ることは無かった。

ただ、緊急事態宣言で収束した第4波のリバウンドは、6月から7月にかけて発生し、あろうことかその次に来る「第5波」のピークが丁度五輪開催途中に重なってしまいそうな情勢になった。それでも政府などは五輪と第5波を同時に「やり過ごそう」と判断したうえで、取り敢えず緊急事態宣言を発出した。これが7月上旬のことである。しかし、このような政府の無為無策とも言える姿勢に対して、多くの国民は気を引き締めることを諦め、もはや第3波や第4波で見られた宣言の効果は大きく損なわれた状態になってしまった。

宣言が発出された後も、感染者数は増え続け、そのまま五輪開会会式を迎えてしまった。なお、五輪に関してはコロナ以外にも、2月での組織委員会会長の失言や、五輪の演出などを担当するアーティストの問題などで懸案を抱えており、多くの国民が自国開催の五輪の有様に納得できかったのではと感じる。五輪開会式の演出や、五輪での日本と世界の選手の演技は、例年通り見ごたえ十分であったが、その裏で国内の医療体制が逼迫・一部で崩壊するなど、日本はこれまで経験したことのない、かなり「マズい」状況に陥ってしまった。

しかしここに来てようやく日本では2月から本格的な接種が始まったワクチンが広く国民に行き渡ったのか、五輪が終わろうとしたころで、全国的に新規感染者数は減少してくる。それでも、医療体制が崩壊したとも言っていい状態に陥ったことで、8月の夏休みが終わっても第5波の影響は続いた。

一方で、結局ワクチン以外に何ら手を打たずに五輪を開催し、と同時に過去最悪の第5波を招いてしまった菅政権への逆風は強まった。前回の衆議院選挙は2017年。4年あった衆議院議員任期と自民党菅総裁の任期の終わりが迫る中で、国民の内閣支持率は低下し、自民党内でも菅総裁の続投や、次の衆院選の勝利に対して懐疑的な声が強まったことは間違いない。そして遂に数か月前は無投票再選かと思われた総裁選も、菅への対抗馬が頭角を表す。

真っ先に積極的に手を挙げたのは、岸田文雄前政調会長(当時)だったろう。国民の不満は、特に菅首相と政治を牛耳る二階幹事長にあった。それを見抜いた岸田氏は、まるで二階を排除するかのような姿勢をアピール。一年前に「終わった男」と呼ばれた彼の党内求心力が高まる。

その後いろいろな経緯で、遂に菅首相は「積み」の状態になる。幹事長を交代させる党役員人事も、先に衆議院解散をしてからの総裁再選の道も閉ざされたからだ。こうして菅氏は退任を表明し、次の総理総裁は岸田氏になるかと思われた。しかし、岸田氏の他にも、当時ワクチン接種担当大臣などを務めて国民から全体的に広く支持を得ていた河野太郎氏や、菅氏が出馬しなくなったことで安倍前首相(当時)の支持を全面的に受けられるようになった高市早苗氏などが相次いで出馬を表明し、投票箱が開くまで誰も結果が分からない予測困難な総裁選となった。

総裁選が行われた1か月の間、自民党内では候補者同士の論戦などが繰り広げられ、徐々に自民党は国民からの支持を回復した。結局総裁選は、党内の支持や党員からの支持を総合的に得られた岸田氏が勝利し、念願の総理総裁の座を手に入れた。その1か月後、岸田首相による解散総選挙が実施され、自民党は全体的に議席を減らしたものの、単独で絶対安定多数を確保し、自公連立政権は勝利した。

自公政権に対する対抗を呼びかけ、野党5党による共闘を実現させ、枝野幸男代表が政権交代を訴えた立憲民主党は、選挙前よりも議席を減らす結果となり、惨敗した。その自民党都立民党の減らした分で議席を拡大させたのが第三極野党日本維新の会であった。立民系の惨敗は、具体的な政権像を示せず、広く国民の支持を得られなかったことが原因だろう。いずれにせよこうして岸田政権は続投ということになった。

一方COVID-19はどうなったかというと、8月以降みるみるうちに新規感染者数が減少し、遂に東京の新規感染者数は1桁にまでたどり着いたのだ。今までの第3波や第4波でも、いちばん感染者が少ない時でも東京は新規300人くらいだったのにも関わらず、この減りようなのだ。なぜここまで減ったか、ワクチン効果説、ウイルスの自滅説、日本人特性説など様々提唱されているが、はっきりと分かるのは数年後になるかもしれない。まだ謎が多いウイルスである。

今年はCOVID-19の変異株の年でもあった。昨年末に、イギリスで変異したアルファ株を皮切りに、ベータ株、デルタ株、ミュー株などが世界で猛威を振るい、既存株から流行の主体の地位を奪っていった。その奪った変異株の方が必然的に感染力は高くなる。そして日本の新規感染者数が安定して久しいころ、だいたい11月末だったか、南アフリカで新たな変異株オミクロンが検出された。

遠い海の向こうから、感染は欧州に広がり、日本でも12月下旬には市中感染が確認された。東京の新規感染者も、それに占めるオミクロン株の割合も増えてきている。幸いにも、今のところオミクロン株による重症化は少ないようだが、侮れない。新規感染者が、リバウンドのように若干増えてきている不安の中で、日本は新年を迎えている。


国際政治で見る2021年

日本の今年の初頭のコロナニュースはうるさかったが、一方で今年の初めには海外でも驚くべきニュースがあった。

昨年2020年に行われた米国大統領選挙の当落を巡って、公式にバイデンの勝利が確認されてもなお一歩も引かなかったトランプ大統領とその支持者たち。1月6日に開催された米国連邦議会では、議会によって正式にバイデンの当選が確定する見込みであったのだが、そこに彼の支持者たちが侵入し、一時会議が停止するという事件が起こった。その事件の第一報を私がニュースサイトで見た時は、勝手になんだ一部の暴徒が柵でも乗り越えたのかと思ってただテキトウに画面を眺めていただけだったが、しばらくしてどうやらそう片づけられるような事態ではないということに気づいた。

当時連邦議会では非常に重大な事態が発生していた。まず、議員の安全が脅かされ、議事の進行が停止されるほどにまで、暴徒たちの手が議場に迫っていたという事実が何よりも衝撃的だ。そしてもう一つ、議会に侵入したのは、武装した部隊でも民兵でもなく、トランプを支持する何も特に殺傷用武器を持ったことのない一般市民だったことが驚きだ。後に逮捕された市民の多くは、トランプ支持者のうち、彼を支持する陰謀論を信奉する「Qアノン」であったことが判明した。

別の記事で述べた通り、そういう一般市民の大集団による暴力行動が為され得ることは証されているので、ここでは詳細の考察は省くが、歪んだ正義感による無知な行為は、歴史上汚名を残すこととなったのは間違いない。

結局当然ながらQアノンが信じるトランプによる逆転劇などは夢のまた夢と消え、1月20日にジョー・バイデンが合衆国大統領に就任し、本格的に米国は国際社会に戻ってきた。何が画期的だったかと言えば、それはバイデンが日本や欧州などの同盟国との関係を重視してくれたことだろう。これは日本や欧州にとっても、そして米国や自由と民主主義がいつでも尊重されるべきこのコロナ禍下の国際社会にとってもプラスなことだったのではないか。

少なくとも我々の民主的な価値観が唯一世界に共通する普遍的なものだと信じる以上、現在危機に瀕している国際的な民主主義を守るための施策をバイデンには期待している。しかしながら、彼が就任して以降目立った成果がないばかりか、むしろマイナスな出来事ばかり起こっている印象があるのも事実である。特に、原理主義的なイスラム主義的勢力タリバンによるアフガニスタン執権は、いくら前の政権も腐敗していたとはいえ、人権や民主主義にとっての大きな懸念となり続けよう。また、2月のミャンマー軍事クーデターには憤りを隠せない。

更に、今年末に開かれた米国主催の「民主主義サミット」だが、ただ100か国以上だが形式的な会合に過ぎず、大きな進歩とはとても言えない。権威主義的な共産中国の覇権増大の危険がある中、空振りの一年となったことは残念だ。少なくとも、まずは世界の新興国や途上国の民主化とインフラ向上に尽力して、仲間を増やすのが来年の目標となるべきだと私は思うが、米国や日本の首脳はそういうことを意識してくれているのだろうか。もちろん米国がトランプに戻ってしまえば、元も子もないのだが。


『ドラえもん』で見る2021年

とまあ今まで堅苦しい話を続けてきた訳だが、やはり未来ノートの一角を占めるテーマである『ドラえもん』のこの一年間を、テレビアニメ中心になるのだが語っていくのがいい。

今年は「わさドラ」16年目ということで、すっかり多くのファンがこのアニメ形式に慣れた頃だと思ったのだが、どうやらそうでもなく、インターネットなどを見る限り、まだ数多くのアンチが点在しているようだ。そんな彼らへの私の言いたいことをまとめたものとして書いた「水田版アニメへの評価について」という記事が、未来ノート構想の第一歩だった。

それはともかく、この年もアニメ『ドラえもん』は順調なスタートを切る。1月9日の今年初回第556回放送では、年始スペシャルということで、3つの作品が放送された。と言っても、いつもより短いのが3つなのだが。次の557回(1月16日)では、オリジナルにOfficial髭男dism本人たちがアニメで出演する『テレビとりもち』(原作:26巻)、560回(2月6日)では『山おく村の怪事件』(原作:7巻)、564回(3月6日)では『精霊よびだしうでわ』(原作:21巻)が放送される。

しかし、この頃世間ではCOVID-19の第3波の真っ最中を迎えることとなり、3月公開予定があった新映画『のび太の宇宙小戦争 2021』の公開延期が発表される。映画の公開延期はこれで2020年の『のび太の新恐竜』に続いて二年連続となった。昨年の場合は、公開延期決定後、すぐに代わりの公開日(2020.8.7)が発表されたのだが、今年の場合はなかなか発表が為されず、気になった。

映画は公開延期となっても、テレビアニメは続々放送された。第569回(4月10日)放送のアニメオリジナル作品『ジジ島の怪魚ハンター』だが、よく作った話ではないか。従来のマイナーなひみつ道具がここに来て登場するという展開も好きだ。今年のアニオリの中で最もよく出来た作品だと感じる。第575回(5月22日)では、『かわいい石ころの話』(原作:37巻)が、わさドラ史上5話目の三回目アニメ化の作品として放送される。

少しここで政治色の含まれる話題に戻って申し訳ないが、五輪直前の第583回放送(7月17日)には、五輪ネタのアニオリ2作『スグピクトグラム』『雲ソファーでスポーツをみよう!』が放送された。どちらの話も作中に直接「五輪」は登場しないのだが、一部で「洗脳だ」との批判が上がったと聞く(参照)。だがこの批判については非常に馬鹿げているといってよい。従来五輪は開催自体が政治化されることは稀であり、またアニメの制作は当然放送の半年前から企画進行が為されており、その頃はまさかそんな政治問題になるとはと想像できた人は少ないだろう。いずれにせよ、「政治化」は五輪開催と五輪回放送を否定する人々が最初に行っており、そういった批判者の方が露骨であることは明らかである。

この2作も面白かったのは言うまでもない。

その次の放送回になるはずだった7月23日は五輪中継のため休止となり、その次週である第584回(7月31日)は、『未来の町でただ一人』(原作:23巻)が放送。その次週は8月7日、つまりのび太の誕生日であり、何年かぶりに8月にのび太の誕生日を意識した作品が放送されることとなった。ちなみに余談になるがのび太の誕生日回と言えば、第152回放送(2009.8.7)の『のび太の中ののび太』が最も印象深く、良いストーリであると私は思う。

そんな中、ようやく新映画の『のび太の宇宙小戦争 2021』の公開時期が発表された。何と、来年(2022年)春ということだ。やっぱりドラ映画は春に見るべきだ、というのが主な理由らしい。確かに一映画としてのタイミング的には妥当ではあるのだが、そうなると題名と公開年が矛盾する。「TOKYO 2020」は当初誰もコロナ禍など予想できなかったから、仕方なく2021年でも「TOKYO 2020」のままだったのだが、これに関しては少し浅はかだったのではないか。ここに来て、映画名を今までのリメイク作品通り「新・のび太の宇宙小戦争」としなかったのが悔やまれる(別にどうでもいいのだが)。また、昨年の『のび太の新恐竜』の公開延期が5か月で済んだのと比較すると、如何に日本のコロナ事情は2021年の方が深刻かという事実を思い知らされる。ということで、結局2021年は2005年の大リニューアル以来のドラ映画無し年になってしまった。

夏休みが終わり、例年通り9月の第一放送回はドラえもん誕生日スペシャルである。ただ今年も昨年同様、中編(約40分)の作品一つという構成ではなく、いくつかの短編を放送するというスタイルだった。もちろんそれはそれでいいのだが、やはり2019年までのスタイルを続けてほしいという思いもある。

季節が秋に入ると、第592回(9月25日)に『スネ夫は理想のお兄さん』、第594回(10月9日)に『町内突破大作戦』などの大物が放送される。また、それと同時にアニメオリジナル作品を割合多めに放送する「秋のやってみようスペシャル」という企画が4週連続で行われる。

そして最後の本日大晦日スペシャルには、アニオリ作品『煩悩を追い払え!』と、ドラえもん史上最大の感動作『さようならドラえもん』の再放送、そして年忘れのジャイアンリサイタルが放送されて、ドラ締めが為されたわけだ。

結局2021年のテレビアニメ『ドラえもん』の新作(注:再放送以外の作品のこと)は合計87話。これは、2015年に放送された合計85話を越えて、年間最多話数更新となった。2020年までは、年間新作話数は70話前後だった。2015年は夏に「ドラララ3」という短い作品の三本立て放送が行われていたのが話数が80話を越えた原因であるので、これはつまり2021年になって、ドラえもんのテレビアニメがよりたくさん製作されるようになったということを意味している。こちらとしてはこの事実を非常に歓迎している。

なお、最近(2020年以降)になって「ドラえもんの新作が少なくなった」という声が聞こえるが、今示した通りそんなことは無い。むしろ増えている。なぜそう減ったと感じるかと言えば、それは再放送の割合が増えたからであろう。ただ、再放送が増えた原因として、コロナ禍でアニメーターが苦境に陥っているからだと説明する人がいるが、それは誤りではないか。だって新作の製作は増えているのだから。むしろ、2019年秋のゴールデン撤退によって番組休止が減少し、放送枠が増えた分の穴埋めが再放送増加の原因と捉えるのが適切だと私は考える。コロナ禍は関係ない。私はそう考察した。

というわけで、自分なりにこの一年間のアニメ『ドラえもん』を振り返ってみた。


プロ野球で見る2021年

私がプロ野球ファン、具体的には中日ドラゴンズファンであることは、この未来ノートでは今まで一言も記してこなかったが、この機会に少し野球について話したい。

今年のプロ野球と言えば間違いなくMLBに移籍した大谷翔平選手の活躍が真っ先に話題に上る。日本人未踏のシーズン46本塁打を放ち、投手でも9勝と二刀流の腕を発揮し、今までそれは彼への侮辱だとされてきた野球の神様ベーブ・ルースとの比較も許されるようになった。二刀流大谷選手のリーグMVP獲得により、新たにMLBで二刀流を目指す選手たちも現れるようになったと聞く。ひょっとしたら彼が、日本人の彼がMLBの、野球の歴史を大きく変えることになるかも知れない。そんなことまで感じさせる大谷選手の快進撃であった。

次に、日本プロ野球のペナントレースについて、中日ドラゴンズの話題を中心に一年間を振り返る。なお、別にそこまで見入っていたわけでもなく、私はファンと言えどそこまで詳しくないので勘弁してほしい。

2020年のコロナ禍のシーズンは、巨人の独走セ・リーグ優勝と、ソフトバンクの4タテ日本一で幕を閉じたわけだが、中日は球団創設以来最悪の暗黒時代と言われるここ数年間の中で、実に8年ぶりのAクラスに入り込んだ。というのも、長年課題であった投手力、特に救援陣:勝利の方程式と守護神がこの年にようやく与田監督によって確立されたのだ。更に、エースである大野雄大投手も沢村賞を獲得。先発陣も充実しつつあった。

2021年の優勝候補は、2020年Aクラスの巨人、阪神そして中日のいずれかと言われたこともあった。特に阪神は昨年のドラフト会議で怪物ルーキー佐藤輝明選手を1巡目で獲得し、大幅な戦力アップが予想された。

そんな中で迎えた中日の開幕戦の相手は広島。中日の開幕投手は、エースの大野投手ではなく、昨年先発転向で8勝を上げた福谷浩司投手。ただ、強力な広島打線相手に苦戦し、5回4失点でマウンドを降りる。しかし、その後終盤8回でビシエド選手のホームランで見事逆転。そのままリードを保ち、逆転勝利を収める。

しかし、この開幕戦のビシエド選手のホームラン以降、チーム全体でホームランがなかなか飛び出さない。この年は開幕から高卒3年目の期待の根尾昂選手が起用されていたが、そこまでチームの打撃には貢献出来なかった。このような慢性的な打撃力不足により、投手陣は好成績を修めても、勝利に結びつかず、2018年にはセ・リーグ最強のクリーンナップと呼ばれた打線は見る影もなくなった。

根尾選手のプロ初アーチのグランドスラムや、交流戦初カードでの因縁のソフトバンク戦制覇など、嬉しい出来事はあったものの、交流戦後半は失速し、五輪前の前半戦終了までにチームは低迷する。五輪期間中には、日本代表の五輪制覇という記念すべき出来事もあれば、木下雄介投手の急逝という衝撃的で悲しい出来事もあった。そんな中気を引き締めてチームメイトは後半戦に臨んだわけであったが、チームは状態を打開できずに貧打で試合を落とすというサイクルが続く。

結局セ・リーグは、巨人の歴史的大失速と、阪神の采配力の低下を利としたヤクルトが制覇。前年は圧倒的最下位だっただけに、この結果は大いにファンを驚かせることになる。もちろん、ヤクルトはチームの特性上、そうなることは十分有り得たわけだが。前回の2015年もそんな感じだった。そして、パ・リーグにおいては、こちらも同様前年最下位のオリックスが、エースの山本由伸投手の圧倒的な活躍もあって、リーグ優勝を決める。

クライマックスシリーズを経て、日本シリーズでは前年最下位同士の優勝球団ヤクルトvsオリックスの対戦が実現する。昨年一昨年の同シリーズでは、ソフトバンクが同じチーム相手に二年連続4タテするという、他球団ファンからしたら詰まらない結果に終わっただけに、多くの野球ファンが対決を待望していただろう。

結果は、ヤクルトの4勝2敗で、セ・リーグチームが9年ぶりに日本リーズを制することとなった。どの試合も2点差以内と常に試合がどちらに転ぶか分からない展開が、観客や中継の視聴者をハラハラさせただろう。試合はいずれも終盤の得点で決まっており、どちらのチームも中継ぎ投手が勝敗の分かれ道になっていたことに気づかされた。シリーズの中では、特に第3戦の点の取り合いが見てる側からしてみれば非常に面白かった。第1戦に屈辱のサヨナラ負けを喫したヤクルトの守護神マクガフ投手のリベンジは、思わず応援したくなるほどだった。

いずれにせよ、2021年は久しぶりに野球というものを楽しませてもらった一年だった。年間143試合に戻り、野球がまた日常の楽しい話題を作るものとして戻って来たのは非常に喜ばしい事である。

来季の中日ドラゴンズへの期待などに関しては、また別の機会に書くことになりそうだ。


以上、私の個人的に好きな観点から、この2021年を振り返ってみた。かなり記事としては長いものになってしまったが、最後まで読んでくださったことは非常にありがたい。もちろん他にも今年印象に残った重要な出来事はたくさんあるのだが、さすがに書ききれない。個人的・内面的な事をまとめると、少し具体的な話は避けさせていただくが、何か様々なことをするに当たって大きな自信を得たり、逆に大きく自信を喪失したりということが繰り返される激動の一年間であったと感じている。来年こそは、日本や世界にとって全体的に希望多き一年として過ごしていきたいものだ。これで一年の終わりの挨拶を締めさせていただく。

(2021.12.31)

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