2022年4月28日木曜日

ロッテ佐々木朗投手と白井球審との件について

 今月11日に21世紀初となる完全試合を20歳という若さで達成したプロ野球ロッテの佐々木朗希投手でしたが、24日の対オリックス戦先発の序盤2回、ストライクかボールかぎりぎりのゾーンへの投球が白井一行球審によりボールと判定された結果走者の進塁を許した時に、マウンドを降りて苦笑いの表情を浮かべたところ、それらの行為がその白井球審に判定に対する抗議ととられ、マウンドに詰め寄られ、一時試合が中断するという事態になりました。

若い選手に対して審判とあろう人が「恫喝」気味に詰め寄ってきた行為に関しては、プロ野球界隈で大きな物議を醸し、NPBは26日に白井球審に対して注意喚起を行いました。白井球審は選手の審判に対する態度について厳しいことで知られており、多数の選手が彼により退場処分とされたことがあるようです。インターネット上からも彼の判定、そして行為に対してかなりの批判の声が集まっていました。

本来私はこの未来ノートでは政治思想系のことを中心に書きますが、一プロ野球ファンとして、野球界の外でも話題になったこの事案について少し自分の考えをまとめておこうと思います。


問:白井球審はなぜ佐々木投手に詰め寄ったのか

答:恐らAIく白井球審は、ボール判定と相手走者の進塁を見た佐々木投手が、マウンドを降りてホームベース、つまり球審側の方向に向かって歩き出したのを見て反応して声を上げたのだと思いますね。メディアなどでは佐々木投手の苦笑いに対して…などとも報じられていましたが、それよりも佐々木投手の顔ではなく足の動きが気になった:反応したのでしょう。

その直後、佐々木投手は歩みを止めており、何か抗議の意思があるということはそれで否定しています。ただ、白井球審はその時点で彼に対し大きな声を上げているように見え、つまり留まるを知らない状態になっていることが窺えます。一度声を張り上げたら、相手が引いても、自分側は引っ込みにくいという状況になったのではないでしょうか。


問:白井球審の行為の何が問題なのか

答:まず一つ考えられるのは、審判として試合を円滑に進めなければいけない身なのに、佐々木投手の小さな動きを大事にしてしまった結果、試合がタイムでもないのに(2022.5.1訂正:タイムはかけられていました)一時中断され、混乱をもたらすこととなってしまったことでしょう。死球を受けた打者が投手に詰め寄て乱闘になった時に、両チームにも属さない立場から喧嘩を収めるに代表されるように、審判は試合の平和維持の役割を持っていますから。確かに最初に動いたのは佐々木投手の方ですが、これは例えるなら小火に油を注ぐようなものなのです。審判は選手から大声で抗議を受け、あるいは突き飛ばされても、規則に乗っ取って粛々と対応することは出来ますので。

もう一つの問題はこのように冷静さを欠いた状態であったこと。映像でも分かる通り、白井球審は少々怖い形相で佐々木投手に向かっており、少しヒートアップした状態であることが窺えます。そんなことをされたら、選手としても困惑するでしょうし、後の投球にもメンタル面で影響することが考えられます。言ってしまえば、今回の一連の彼の行為は、審判としての役割を為していない、これが問題の核心なのです。


問:白井球審の判定について

答:今回の判定は確かにストライクであっても全然おかしくありません。映像を見る限り、投球はホームベース上をしっかりと通過しており、あとは高さの問題:打者の膝の位置と比較しての問題となるでしょう。ただ、今回以外にも球審による絶妙な判定というものは星の数ほどあり、これだけを取り上げて論じるというのには違和感があります。私が見る限り、明らかな誤審とは断定出来ません。

そもそも、審判の絶妙な投球判定について試合が終わった後から論じる意味はないと考えています。審判の判定は、ストライクゾーンが広いか狭いか:打者に厳しいか投手に厳しいかによる違いはあっても、どちらか片方のチームを贔屓することはない、現場にある中立で迅速な唯一の判断で、一つ絶妙なものがあっても覆すのは現実問題として不可能なのですから。少なくとも、審判の傾向を評価する以外では。


問:AI審判を導入すべきか

答:元ロッテの愛甲猛氏は、この問題について「そこより前にやることがある。前から疑問に思っていたんですけど、球審は1試合、250~260球のストライクボールの判定をします。その全球について、試合後に確認作業をしているのかという点。まずは技術向上でしょう。」*1と取材で述べています。今まで野球は日本でも70年以上の歴史を経て次世代に受け継がれてきていますが、その中で「人間の審判との駆け引き」という技術も発達してきたはずで、要するに審判には試合をルールに従ってただただロボットのように静かに進めるための役割しかないわけではないと思うのですよね。先ほど書いたことと矛盾しているかもしれませんが、こうした技術を継承する意味を解消するというのは寂しく感じるところです。

まずは人間として出来るところまでやっていく努力をもう一度促したいところです。


問:白井球審への批判について

答:私が感じるところとしては、今回の白井球審への批判は専らインターネット上で行われたのですが、それがこの件に関しては半ば「炎上」という形になってしまっているのではないかと。もちろん、白井球審のこの行為に関しての批判が為されること自体は当たり前のことです。ただ、その中には特に匿名ユーザーからの感情に基づいた白井氏への中傷とも取れるようなメッセージも数多く目にします。やはりそこにネット社会の限界を感じるところがありまして、たとえばリアルな世界で球界OBたちが彼を批判するなんてことが耳にされるときだって、彼らは丁寧な物言いで自分の経験から得られる考察を淡々と述べており、やはり批判する時の冷静さの大切さを実感しました。

彼の行為以前にネットリテラシーも実は相当腐敗しているのではないかなと感じたのもまた事実です。


問:白井審判員の進退について厳しい声が上がっているが

答:この問題は、野球界の外からも多くの批判を受けており、NPBも動きました。彼に対して辞任を求める声が上がっているということですが、ただ、ただそういう声というのが、彼が長年築き上げてきたキャリア・実績・努力を本当に理解しているのかどうかは疑問に感じるところです。彼は審判員として26年目のシーズンを迎えています。NPBの審判になれるのは希望した人のうちごくわずかな人だけで、選手の門と同様非常に狭いのです。彼の「辞任」はこれまでのそうした彼のキャリアを全て否定するものですから、そのような批判者はそこまで求める意味をきちんと認識しているのかと。

ここにおいて、感情的な行為が許されることはありません。それは二つ以上の意味で言えることです。

(2022.4.28)


前回:純粋な正しさへの道

次回:中国ゼロコロナ政策の限界と寡頭政治の限界


引用

(*1)東京スポーツ:佐々木朗希への〝球審恫喝問題〟にロッテOB・愛甲猛氏が直言「AI導入の前にやることがある」

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