2022年5月17日火曜日

時を生きる その2

<<時を生きる

 5月15日も、5月16日も、同じ24時間という長さを持つ「1日」として私たちは捉えています。しかし、それぞれの日付には異なる7種類の曜日が与えられ、人類は曜日ごとに行動を変えて、あるいは変えずに日々生活を営んでいます。そして、曜日の他にもそれぞれの日付に送る「意味づけ」には様々な種類が存在します。祝日、誕生日、行事の日など、人々が何を日付に意味づけするかは、その人、日付、そしてシチュエーションごとに異なってくることもあります。

要するに何が言いたいかと言えば、例えば一日をボーっと何もせずに過ごして終えてしまったときに、明日があるからいいや、なんて考えるのはいかがなものなのか、ということです。一日くらい無駄遣いしても、人生の何万分の一に過ぎないからどうでもいい、と考えてしまえば、大きなものを失うことになるのではないでしょうか。

一度無駄にした一日は、24時間という形で似たようなものが明日もやって来るけど、同じものは二度と帰って来ない、その事実は、その言葉が示す以上に大変大きな意味教訓を持っています。世界は広いです。何もない一日なんてありません。世界の、地球を越えた裏側の世の中でも、日々何かが起こり続けている―自分の周囲の動きや社会の動き(=情勢)は毎日全く異なる―のですから、その出来事を直に知り、直に考えるといった経験には大きな価値があるはずです。

自分がその時代に起きた、その出来事の渦中で過ごした、それを後世に伝えることは、とても誇りあることになるのだろうと思います。だからこそ、まずは一日一日を充実させて生活を送り、そして外の世界で起こったことを知って、その中で生まれた問いについて何でもいいから考える、自分の脳内でどんな突飛なものでもいいから考えを巡らして答えを得ようとする、さらに、それを記憶に留めることも重要でしょう。

深い思慮でも、何か具体的に目に見える物体の形として、記憶に残らなければ、忘れ去ってしまうのが早くなります。その時、どんなにその日充実した生活を送っても、その思慮は無かったものと後の自分に見なされ、結局その時間も無意味だったものということにされてしまいます。そのようなことを防ぐためにも、自分の毎日の行動、思慮などを書けるだけ記録に残す、例えば日記をつけるとか、メモを残すとか、手段はありますが、とにかく文字としての形に表われるようにするのが理想ではないでしょうか。記憶を記録に変えて久しい時の間に伝わる余地を残すのは、有意義なことです。

そしてこれが、真に「時を生きる」ことに繋がっていくのです。

(2022.5.16)



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