2022年7月18日月曜日

安倍元首相殺害と参院選の結果の考察【未来ノートコラムB・第10回】

10日に執行された第26回参議院議員通常選挙の選挙運動のさなかの8日、奈良市近鉄大和西大寺駅前で自民党候補の応援演説をしていた安倍元首相が銃撃され、その後亡くなった。日本、そして世界に衝撃が広がる中で執り行われた参院選は、その後各メディアの予想通り自公政権与党の勝利で終わった。

この記事では、まず安倍氏の銃撃暗殺事件、そしてこの参院選挙の結果から、今後起こり得ることや私の価値観について記述していきたい。


日本は物騒な国家になってしまったのか

安倍氏に対する銃撃事件が発生した直後、TwitterなどのSNSや、ニュースサイトのコメント欄では、銃による事件が起きたことへの衝撃や驚嘆、そして日本の治安が悪くなっているのではないかと言う嘆きの声が散見された。殺人事件の件数自体が少ない日本でこのような事件が起きたことに対する感想として当然な反応だ。

とは言え、前例が全くなかった種の事件でもない。今まで発生した政治家などへの暴力事件にはどのようなものがあったか。

戦後の事例でよく知られているのは、1960年10月の浅沼稲次郎暗殺事件、社会党党首の浅村が右翼の少年に演説途中で刺殺された事件だ。演説途中の暗殺という点では本事件と似ている要素はある。また、その前の7月には安倍氏の祖父で当時の首相の岸信介が右翼に襲われている。

長崎市では市長に対する暴力事件が過去に二度起きている。1990年1月に本島等市長(当時)が右翼団体の構成員に市役所前で拳銃で撃たれ、重傷を負った。2007年には現職市長で再選を目指して出馬していた選挙の途中に伊藤一長が暴力団員に銃撃され、その後亡くなった。

他にも1990年10月に丹羽兵助衆議院議員が、2002年10月には石井紘喜議員が暗殺されている。また、1995年のオウム真理教事件の捜査のさなか、当時の警察庁長官が自宅マンション前で狙撃され重傷を負うという事件が起こり、国民を更に不安にさせた。

このような事件は言い方は悪いが実は5~10年間隔で日本でもたびたび起こり、そのたびに社会を不安にさせてきた。この安倍氏の暗殺事件も残念なことではあるが、この後の歴史にこうした事件の一つとして刻まれていくことになるだろう。だから、この事件が起こっただけでは日本の治安が確実に悪化しているとは言えない。今事件は今のところ単独犯によるものだとされており、立て続けにこのような事件が多発する必然的な理由は見当たらない。だがもし今後1~2年くらいまでにまた発生してしまえば、そのような傾向の存在を主張する十分な根拠となってしまうだろう。

首相経験者が殺害されるというのは戦後日本に限っては前代未聞であり、社会的影響というのも激しいものだが、その一方でその衝撃を感受し過ぎて早とちりに慌てるのはよくない。どういうことかと言うと、あくまで事件をメタ的に見て、今までの事例、あるいは海外での事例、そしてその後の施策と比較し、それでは我々はどのような事件への採るべきかを議論していくのが大事で、それはまさに安倍氏が世界的に擁護してきた民主主義というものにかかっているのではないか。

出典:ハフポスト日本版:政治家への襲撃、過去にも【主な事件・一覧】


今事件自体と「民主主義」を関連付ける意味はそこまでない

事件直後、政界からは与野党問わず、つまり自民党から日本共産党まで全ての政党がこの事件を非難し、翌日には多くの党が「暴力で言論を封殺することは許されない」として、選挙戦最終日に臨んだ。だが、容疑者の供述で事件の動機が明らかになるにつれて、あまり「言論の封殺」「民主主義」と事件の発生とは関係ないのではという指摘が上がって来た。もちろん、容疑者が本当の動機を隠すために嘘の供述をしている可能性もあるが、週刊誌などはその裏付けを得ているようなので、恐らくその線で考察して構わないのだろう。

今まで明らかになって来た容疑者の動機が整理されてきている。容疑者の母親は特定の宗教団体、実は統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者であって、教会に億単位の「献金」をしてきたおかげで、容疑者の家庭は破綻したのだという。容疑者はそれで統一教会を恨み、そしてそれが統一教会と関係があった安倍氏への恨みと変化し、事件を起こしたとされている。

つまり、事件直後に我々が想像していた、政治的理由による攻撃では全くなかったのだ。もちろん、それでも逆恨みによる野蛮な犯行であることには変わりはない。でも、その事件と民主主義などの普遍的価値観とを関連付けた政党党首や各メディアのコメントは、自分たちが民主主義の擁護者であることを強調するためだけのアピールでしかなかったのでは、と私は考える。事実、私も事件直後にSNSでこのようなコメントを出したが、あれは早とちりなっだことは否めない。


で、容疑者の家庭を統一教会がカルト商法で苦しめてきて、母親だけでなく父親なども破滅に追い込まれるという窮状だったそうで、17日には反統一教会活動をするジャーナリストの下への手紙の存在や容疑者のTwitterの存在が明らかになった。そこには容疑者が長い間自分たちを破滅させたという統一教会への復讐の思いと家族への複雑な感情が綴られていた。容疑者のこれらの窮状そして積年の怨念があったことは理解できる。だが、だが、それで容疑者の殺人行為を擁護する理由が私には分からない

この事件に関して安倍氏の落ち度は、統一教会を協賛していたことがあったということが挙げられるが、これは事件の結末と比すれば僅かなものである。この事件で被害者の安倍氏にも一定の落ち度があるということを導き出すのは、飛躍し過ぎた議論である。これで統一教会の闇が暴露され、カルト宗教に対する社会的対策・規制が敷かれることは大いに歓迎すべきだ。でも容疑者はそれに対する英雄ではない。なぜならあまり落ち度のない、というかほとんど第三者である人物を殺めているからだ。それが分からない人は、人を殺めることの意味を真に受けて考えたことがない。


安倍氏「国葬」の是非

14日に岸田首相は、亡くなった安倍元首相について、秋に国葬を執り行う方針を固めた。費用は全額国費、場所は武道館で調整されているようだ。民間人の国葬は吉田茂以来の異例のものだ。

NHK:安倍元首相の「国葬」 ことし秋に行う方針 岸田首相が表明

これには政府による表明前から賛否両論の意見が舞い込んでいる。自民党はもちろん、国民民主党など一部の野党からも、賛同と理解の声がある。立憲民主党などの野党議員や革新的な言論人からは、安倍氏の功罪は検証すべきだとして、国葬の実施を反対している。また、費用の問題もある。

国葬を行うことのメリットはどこにあるのか。恐らくその最大のものは、これを世界的な安倍氏追悼行事にした時のメリットだろう。安倍氏は国内からの評価は様々あるとはいえ、外交では世界に存在感を発揮した。事件の直後の世界の反応を見ればそれは理解できよう。そして、少なからず弔問に訪れる世界の要人もいることだ。それを集約し、一斉に、そして日本政府の立場と意思を明らかにするために出来るのが国葬のメリットだ。

国葬のデメリットとしては、弔うことを国民に強制するのではということだ。現状、国葬は近年執り行われたことは無いので、どのような規模で、どの程度の国民への影響力を持つのかははっきりとは分からない。でも前述のように世界的な行事にすれば、外交行事という枠の中に収められる。それでテレビ地上波で放映することの問題点はあまり無くなる。

岸田首相の決断に、SNSを見るとネット右翼(ネトウヨ)が歓喜しているようだ。岸田首相、見直したぞ、と。だが、あなたたちはあまり期待しない方がいい。岸田首相は国葬の実施に外交面でのメリットと保守派からの支持を得ようとするメリットと二重のメリットを見出したのだろう。表面的な事象に一喜一憂する彼らには相変わらず呆れるものだ。

立憲民主党は、国葬実施に関して国会の閉会中審査を求めている。国葬に根拠法はないが、内閣は法整備無しで対応できると判断している。今後はその根拠法令を巡ってが争点になりそうだ。国会で議論することで国民の理解を得る機会にもできる、だから自民党に利が無いはずないのだが。


参院選の結果について

まずこの参院選について言うことはあまりない。自公政権の勝因としては、もともと国民が一般に野党に投票して変革をもたらそうという意識が存在しなかったのと、事件が自民党に同情票を与えて圧勝をもたらしたということで良かろう。投票率が100%だったら、無党派層がわずかな風向きの変動で心が動いたら、野党が勝つかもしれないなどという推測もあるが、投票する人々の根底にある無意識というのにはそう簡単にはカオスは働かない。そもそも岸田政権はなかなか「やらかさない」ので、その風向きの変化さえ起こりそうもないのが現状だ。自民一強体制は今後ニ三年はまだ続こう。

(2022.7.17)


前回:中国ゼロコロナ政策の限界と寡頭政治の限界

次回:黄金の三年間と自民党の選択


2 件のコメント:

  1. この事件で被害者の安倍氏にも一定の落ち度があるということを導き出すのは、飛躍し過ぎた議論である。これで統一教会の闇が暴露され、カルト宗教に対する社会的対策・規制が敷かれることは大いに歓迎すべきだ。でも容疑者はそれに対する英雄ではない ←全く同感!
    長いこと読みに来なくてごめん! やっと、今日からお盆前まで、時間取れそうなので、これからじっくり読ませてもらいますね!

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    返信
    1. コメントありがとうございます。いえいえ別にこうして定期的に読んでくださること自体がありがたく、こちらも感謝しております。
      安倍氏の件でのこの私の記述ですが、気をつけていただきたいのは、私が「安倍氏に落ち度はない」と書いたのは、あくまでこの「事件」内での話です。私が読んで違和感を覚えたのは、「安倍氏の自業自得だ」とか「今回の件で統一教会の件も明らかになったのだから容疑者は英雄だ」などといった主張です。
      逆につまり何が言いたいかと言えば、事後に明らかになった統一教会と自民党の関係に係る安倍氏の責任については、これはまた別問題であるということです。

      削除

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