2022年7月28日木曜日

黄金の三年間と自民党の選択【未来ノートコラムB・第11回】

黄金の三年間と自民党の選択

安倍元首相が銃撃され殺害された事件。容疑者は、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合、以下通称「統一教会」)のカルト的手法により母親が信者になり過剰な献金が強いられたことで家庭が崩壊し、統一教会を恨むようになり、そしてその恨みが安倍氏への恨みへと変化し、犯行に及んだとされている。

もちろん容疑者の行為が人道に外れた凶行であることは動機がどうであれ変わらず、事件を称賛し、容疑者を擁護し英雄視する層が一部にいることには危機感を感じる。ただ一方で、自民党の議員が選挙の際の集票組織として、思想的にも友好関係にある統一教会を人海戦術で用い、統一教会にカルト商法への「お墨付き」を与えていたことは大いに批判されるべきである。

このような自民党への批判的風潮は現時点で広まりが速いもので、恐らくこの後行われる政党支持率調査で自民党への支持率はかなり下落するだろう。もしかしたら政権支持率も下がるかもしれない(注)。だが、マスメディアで盛んに統一教会の実態が報道され、あるいは自民党議員との結びつきが報じられたとしても、岸田現政権への影響・打撃は限られそうだ。岸田政権は今回の参院選の大勝で黄金の三年間を手に入れた。少なくとも国政選挙で政権が潰えることはあり得ない。2年後に総裁選があるが、その時までに事態を収集させられていれば、自身の再選も見えてくる。意外と猶予があるのだ。

(注)相対的に野党支持率が上昇する可能性があるが、あくまで自民党の「自滅」的効果であり、国民が野党に期待しない現状が変化したわけでもないので、限定的になるだろう。

自民党が2年以内に事態を収集し、(まだ下がっていないが)下がった支持率を回復させるにはどうするべきか。手段は二つある。一つは統一教会との関係性を断ち切ること。実は近年の日本のカルトは年々縮小しており、統一教会としては、当然議員とのコネをもってしても何か自分たちの推進したい政策を実現までしてくれるわけではないので、これからは政治の場からは撤退せざるを得なくなるかもしれない。

しかし自民党の議員としては集票組織として人員を拠出してくれる大型な組織が欲しい。なお例えばリベラル野党は労働組合を、公明党は創価学会をそれとして利用している。もし統一教会と関係を断たざるを得なくなればどうするか?私が思うに、実はそのために「連合」をリベラル野党から引き抜いているではないかなと。

今自民党の議員たちが自身らの統一教会との関係を認めていることについて、一部のメディアは「開き直り」と報じているが、現時点では統一教会のカルト的手段について公式に「反社」的な組織だと認められているわけではない。だからメディアの攻勢が強まる中で、彼らは統一教会が「反社」ではない今のうちに白状してしまった方がいいと考えていると私は思う。

しかしもし自民党の議員たちが統一教会との関係を今更切れないほどに選挙において依存しているとすれば、彼らはもう一つの手段として事が自然に鎮火するのを待ち、統一教会との関係を継続するということを考えているかもしれない。しかしこれは当然問題の本質的な解決を導かず、国民を欺くことになる。

それでも、言い方は非常に悪いが、自民党にとってこれほど好都合なことは無い。「カルト宗教との癒着」というこれまで取り上げて来られなかった不都合な事実、それも致命的なものとなりそうな汚点が顕わになったわけだが、それは自民党にこうした選択が出来る「黄金の三年間」という猶予期間の、それも始めの始め、来たる国政選挙へのダメージを最低限に抑えることが出来るタイミングに露わになった。もしこれが選挙の2週間ほど前であれば、選挙について自民党に負の影響をもたらした可能性があった。

これは逆に好機と捉えられる。そしてその好機を生かすも殺すも、その議員たちの意志、あるいは組織としての自民党の規範・倫理意識にかかっている。


事件の容疑者の男は死刑になるか

ついでにこの記事では、今回の銃撃事件の犯人の男の具体的な量刑について、社会的関心も高いので論じておこう。

まず、裁判の争点の一つになり得そうなのが、男の責任能力に関してだが、これまでの男のSNSに投稿された文章、捜査当局の取り調べに対する供述を聞けば、刑事責任を問うには十分な精神状態に伴う論理性を持っていることが窺える。であるからして、今後新たな事実が判明しない限り、このまま行って裁判でも男にはその精神状態において刑事責任能力を持つと判断されよう。

さて、具体的に男を有罪と仮定して量刑について論じるが、そのためにまず過去の類似事件、具体的には、2007年4月に、長崎市で選挙演説をしていた現職市長伊藤一長(当時)が暴力団員に銃撃されて死亡した長崎市長射殺事件、これは本件と類似しているのでそれと比較しよう。

この事件では一審の長崎地裁は暴力団員の男に「選挙を混乱させるなど民主主義の根幹を揺るがした」として死刑判決が下されている。なお男には殺人の前科は無かった。しかし控訴審では「民主主義に対する挑戦であるが、動機は被害者に対する恨みであり、選挙妨害そのものが目的ではない」として死刑は回避された。その後最高裁で2012年に無期懲役の判決が確定している。

この事件から、政治家に対する個人的な恨みでの暴力事件に対する相場は無期懲役と考えられる。そしてこれと比べて刑を加重すべき本件の要素としては

  • 殺害されたのが内閣総理大臣経験者で世界的影響も大きい
  • 犯人は年単位の長期に渡り事件を起こすことを計画していた(強い計画性)

が挙げられる。しかし一方で

  • 容疑者の家庭がカルト宗教の商法により破産していた

ことは、酌量すべき刑の減軽要素となり得る。

それを考えれば、現時点で明らかになっている事実のみを考慮した時、容疑者の男にその後裁判で死刑判決が回避される可能性が高いと思われる。基本は無期懲役だと思うが、有期刑への減軽も今後明らかになって来る事実の内容によれば、有り得る範囲である。

以上

(2022.7.28)


前回:安倍元首相殺害と参院選の結果の考察

次回:中国と日本の政治問題をめぐる遠藤誉氏の記事の書き方への疑問


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