2023年4月22日土曜日

未来ノート2周年

 明後日4月24日で、私がこのブログ「未来ノート」を開設してから2年が経つ。その節目に、少しばかり挨拶を入れたいと思う。

そもそも私がこのブログを開設したのは、自分が持っている日本社会や国際情勢に対する主張・見解を表明したり、自分の趣味である事柄を語ったりするのが、その主な目的であった。そうしてブログの記事の文章を書いているうちに、私はブログ開設前には知らなかったいろいろな事実や教養を学ぶことができるようになった。また、SNSアカウントもその途中で開設した。

ただ、この2年間のブログ活動やSNSなどでの発信で思い知らされたのは、私が今までここに書いてきた主張や見解の基礎となっている私の教養や知識は、この世界に存在する様々な知性に対しては、比べ物にならないほど小さく、取るに足らないものだったのだなということだ。ブログを開設したころは、私は世間の不条理さに飽きれ、それを堂々の言葉で批判・批評し続けていたのだが、今改めて2年前の自分の書いた記事を見ると、本当に稚拙で、下らないことに焦点を当てたひどく幼稚な文章となっており、閲覧するのが恥ずかしい記事さえある。

もちろん、その「恥ずかしさ」こそが自分の2年間の成長分なのかもしれない。ただそれでも、今の自分の能力は、依然として矮小で、劣っているというのが現状だと感じる。基本的に、2年前から今まで書き続けてきた私の文章は、その分野の既存の専門家の知見などをほとんど顧みない、いわゆる悪い意味での「独学」による文章であり、あまりにも知的なエビデンスが不足していたように今思う。特に、【偽りの平和主義と戦う】シリーズの記事群や、「人類史終わりへの肯定と疑念」の記事は、難解な事柄に対する軽薄な理解で文章を書き進めてしまっており、これらの記事に書いてあることは、現在の私の修正された認識とは、だいぶ矛盾する内容になってしまっている。

一方で、ブログに記事を投稿していくなかで、確かにつかんだ「思考体系における成長」というものもある。そもそも私が2年前の自分に対してこれ程の「恥ずかしさ」を感じていられるのも、自分がその間に変化できたことの証左である。この変化の過程のなかで、自分の思考能力やモノに対する認識の精度は、確実に改善していると自認している。それに加え、今の自分は、2年前、1年前、延いては1か月前の自分と比べても、常に成長曲線に乗っていられている:連続的に成長できているようにさえ思える。


今後の「未来ノート」に関しては、更新頻度が下がると思われる。理由としては、①現実世界における私管理人の多忙、②既存の知性に対する無力感、③文章を書くことに対する飽きの感情、の3つだ。これらの感情が決してネガティブなものではないことは、前述した内容を理解していただければ、お分かりいただけることだろう。ただ必要と思えばいつでもブログを更新する用意はしておくつもりだ。上述の通り、今の自分は、整然で高知性的な文章を書くにはあまりにも未熟過ぎる。取り敢えず、ここ1年は、教養と知識を定着させることを第一の目的に行動していこうと考えている。良かったことは、このようなブログ活動を2年間にわたり継続できたこと。将来的には、形態を別のものに変えての活動もあるかもしれない。

(2023.4.22)


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