2021年7月19日月曜日

忌むべきものの核心【未来ノートコラムA・第4回】

 ここでは、【偽りの平和主義と戦う 第4回】各国のイデオロギーの補足的な説明をさせていただきたいと思います。というのも、実は、旧ソビエトや現在の中華人民共和国が掲げる共産主義に対して、勝利しなければならないとする「勝共」主義などの、反共的なイデオロギーについて、考えてみたいなと思ったからです。

「反共」というのは、文字通り共産主義に反対するようなイデオロギーの事で、20世紀前半に、ソビエト連邦がロシア革命によって成立するなど、共産主義がいよいよ欧米の既存の資本主義体制に脅威を与えるのではないかという危機感から、このような「反共」は共産主義の広がりと同時に広がりました。

(注意)この記事では、共産主義=社会主義としてもらって構いません

この「反共」の波は、各国の「赤化」すなわち体制やイデオロギーが共産主義になるのを阻止した一方、一部の国ではそれがより過激になり、特にドイツやイタリアなどはファシスト国家に変貌していったのです。それを倒すための戦争が、第二次世界大戦だったわけです。その結果、周囲に広がりを見せるようなファシスト国家は駆逐されました。

「ファシスト」という突発的な脅威が無くなった後には、再び欧米や日本からは、共産主義が現実の脅威として再浮上しました。これにより、冷戦が生まれました。

しかし、冷戦後期になると、日欧米のような、ソ連のような社会主義(共産主義)国と対立した国では、政局が安定し、国民の生活レベルが向上していった一方、社会主義諸国では、なぜか平等を掲げたはずなのに一個人に権力が集中する恐怖政治が敷かれたり、物の供給が追い付かず国民の生活が苦しくなるなど、資本主義諸国と社会主義諸国の明暗ははっきりと分かれていったのです。

そして、1991年のソビエト連邦解体は、資本主義の社会主義に対する優越、言わば資本主義の勝利の証明だったわけです。

でも、残念ながらそれは過去のことになっているような気がします。

2000年代から急速な経済発展を続けた、中国共産党の一党支配による中華人民共和国は、2010年にはGDPで日本を抜き、世界第二位の経済大国へと躍進しました。今でこそ、人口が減少しているとか、30年後には暗黒な未来が待っているとか言われていますが、数年後には米国を抜くという予測はまだ根強いものです。それはともかく、社会主義国家のはずの中華人民共和国の発展、失敗したはずの社会主義諸国の発展は、世界の人々を、驚愕させました。なお、これに連動して、反共運動も再び加速しているようです。

それにしても、なぜ共産主義中国は、こんなにも発展できたのでしょうか。

理由は簡単です。

それは、今の中国、すなわち中華人民共和国のイデオロギーは、もはや共産主義ではないからです。

現在、中国共産党の指導する中国政府は、資本主義諸国の制度と同じように、自由市場経済を大幅に認めています。もちろん中国政府はあくまで「共産主義」を掲げながら、今の中国大陸の経済体制を「中国の特色ある社会主義」と名付けています。確かに、この今の中国の経済体制は、社会主義的とも言えますが、資本主義の最大の特徴の一つである自由市場経済を導入している以上、実際はこれまでソビエト連邦が実践してきた共産主義とは全く異なるもので、共産主義の実質的な発明者であるマルクスの考えた主張から、最も逸脱したものであり、事実上の資本主義と言っても過言ではありません。

そう考えれば、「資本主義は社会主義に優越している」ことと、「共産主義中国は世界第二位までに発展した」ことという2つの事実の矛盾を、弁証法的に解消させることができるのです。


その上で、では今どう中華人民共和国の膨張に、日本は対抗すべきかということを、追求していきましょう。なお、なぜ今中国に対抗しなければならないか、ということは、【偽りの平和主義と戦う】シリーズで飽きるほど僕が述べてきたことなので、分からない人はそちらをご参照ください。

昨年は、米国で大統領選挙が行われ、中道左派リベラル系出身の民主党候補バイデンが、中道右派保守系の共和党現職候補トランプ氏を破って当選しました。このうち、敗れた現職のトランプ大統領を支持した保守派の人々の多くは、日米などの国を問わず、反共を主張していました。共産主義の中国に対抗するためには、トランプ的な反共が必要だと考えたからです。

でも、それは今まで僕がこの記事上で述べてきたことを踏まえると、果たして有効なのか、と疑問に感じます。

まず、相手の中国は、既に「共産主義」という急所を放棄したわけですから、それに対して今更「反共」の剣を振りかざして、成敗しようとしても、事実ノーダメなわけです。

ではどうするべきか。現在、中国共産党政府は、ウイグルやチベット、香港などでジェノサイド(虐殺)または言論弾圧と統制を繰り返していると言われます。それこそ中国に対抗すべき理由の一つなのですが、そういう彼らの行いに対して、我々は現在の中国政府に言ってそれをやめさせるべきだと僕は考えます。

正直、「共産主義」自体は、個人の人間性を奪うような悪しきイデオロギーではありません。しかし、共産主義には欠陥があり、結果独裁政治人権弾圧を誘発してしまうというだけです。問題は何かというと、それは人間を人間らしく生きさせるための永久不可侵の「権利」を侵すことなのです。すなわち「人権侵害」です。これが諸悪の究極の根源です。

我々地球上のすべての人間に与えられるべきかつ天賦の権利を、勝手に他人が侵すことこそ、撲滅されるべきであり、それをする者は殲滅されるべきであります。そのために、日欧米の自由民主主義諸国は、結束して世界の人権状態を改善し、抑圧に苦しむ人々に自由を取り返してやる必要があるのです。

これをすることで、忌むべきものの根源である、「人権侵害」という一つの悪しき行いを、撲滅できます。これは、反共主義にはとてもできないことではないでしょうか。

我々が真に忌むべきものは、果たして共産主義だったか、それに対する答えとしてこの記事を書きました。


(2021.7.19)

4 件のコメント:

  1. 今私達が共産主義という言葉で連想するのがどうしてもソ連と中国なので、ソ連の全体主義、中国の全体主義と同一視してしまう、という意味で、「共産主義」を全体主義と同一視して語る人は多いよね。でもだからといって、共産主義者がみんな全体主義社会をのぞんでいるか、といったら、実は違ってて、彼らが目指したのは「平等社会」なんだと思う。昔、中国共産党のために命を捧げて生きた父親の伝記「ワイルド・スワン」という本を、ユンチアンという人の書いて、ベストセラーになったことがあって、この本は本当に名著だと思います。このお父さんは、命を捧げて平等社会を実現しようとしていたのが伝わったし、それだけ、この時代、共産主義が目指す「理想社会」に、多くの人が惹きつけられたんですよね。私自身は、マルクスは好きではないけれど、初期社会主義者のフーリエとかサン・シモンとかは好きですね。日本の共産党とかも、先月、中国の人権弾圧への非難決議を支持していて、何故か与党の反対で法案が通らない、というおかしなことになっていて、最近は、私も、政治について、「政党」で判断しないようになりました。大切なのは結局のところ複数性なんですよね。共産党政党(平等社会を目指す政党)というのはあっていいと思うし、だけど、それが他の言論を弾圧する独裁政権になっては駄目で、複数の政党が政見を競い合いながら発展していく民主主義社会が良いですよね。

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    1. コメントありがとうございます。まさにおっしゃる通りです。
      19世紀、格差社会の進行につれて平等を求める人が多くなってきたときの当時の状況は想像できるところです。ただ、結局人類は、その先天的な習性もあってか、「全ての意味で平等な社会」を実現しようとしても、最後はうまくいかなくなってしまうのではないでしょうか。
      先日公式無料アップされていたので偶然読んでみた、藤子・F・不二雄の単発短編『征地球論』は、地球に侵攻すべきか否かを議論する宇宙人たちが、現代の日本社会(地球社会)に生きる一人の若者に焦点を当てて人間社会を観察するというあらすじで、人間社会の特徴を「外部からの視点」ということで、非常に端的に客観的に示しています。その中に、「人類は平等を目指そうと、階層や身分を一旦は掻き回そうとするけれども、結局は新たな階層が出来て、元のピラミッド社会に戻ってしまう」というその宇宙人の分析があります。
      人間には「他者より上を目指す」「他者より下は嫌だ」という二つの感情が交互にやってくるので、平等社会においては前者の感情が顕著になって、その結果勝者が上に立つ階層社会が出来上がりますが、今度はその階層社会において後者の感情が顕著になり、革命が起こって平等社会になる、がしかし…という無限ループになってしまう性質があるということです。
      結局、その人間の習性には逆らえないものなので、平等は平等でも「すべてを平等にする」ことより、「機会を平等にする」ことを目指した方がいいのかもしれません。

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  2. 補足すると、全体主義社会の特徴として、ハンナ・アーレントが言っているのは、「秘密警察」と「強制収容所」の存在です。だから、ハンナ・アーレントの定義であてはめると、かつてのソ連、ナチスドイツとともに、現在の中国と北朝鮮は全体主義国家ということになると思います

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    1. 「秘密警察」や「強制収容所」は全体主義社会か否かを判断する一つの指標になるということが提唱されているのは、ここで初めて聞きましたが、今までの事柄を踏まえれば、自分はかなり納得できます。

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