2021年8月11日水曜日

言論統制の指標

 時折独裁国家においては、その独裁体制を打倒する恐れのあるような言論は、排除され、その他の言論も国家によって統制されます。例えば、政府に反するような新聞記事を書いた記者が逮捕されたり、反政府的な論調のメディアが閉鎖されたりなど、統制の方法は多岐に及びます。いずれにしても、このような政府による行為は、報道の自由や言論の自由などの表現の自由を侵害しており、国家法的にも違法な行為です。

とは言え、偏に二元的に言論が統制されている状態と、良好な状態になっているのを判断するのはよくなく、それから健全な民主国家においても、たびたび言論統制が行われる可能性があります。しかし、言論の統制は国家によっていきなり行われるものではなく、むしろ段階的に施されることが多いようです。

例えば、香港に関しても、中国政府は2010年から2020年にかけて、だんだんと言論を締め付けていったという感じでした。

そこで、今回この記事では、言論統制の程度をレベル分けすることで、世界の様々な言論状況の良し悪しを判断できるようにするという試みを試していこうと思います。


レベル0☆:言論状態は良好である

政府に対して肯定的な言論も、否定的な言論も、どちらも流通しており、特に政府の機関や、国営のメディアなども介入することがなく、世論操作も行われていない状態です。これは、民主国家の理想的な状態であり、政府権力の介入なしに、健全な議論を人々は交わすことが出来ます。しかし、もちろん明らかに社会的な犯罪やテロを助長するような主張は、公益及び公の秩序に反するので、排除される場合があります。


レベル1★:議論環境の疲弊がある

議論環境が疲弊する…とはどういうことかというと、例えば、誰か自分の意見と相反する事柄を主張している人から、「お前、屁理屈ばっか言うのやめてくれよ。付き合いきれねえよ。お前の言う事なんて誰も聞かねえよ」などと、議論すべきことときちんと向き合っていないような発言をされると、今度は自分が議論する気が無くなってしまいます。他にも、自分に反対する人から誹謗中傷を大量に受けると、人は、それがストレスになって、自分から何か発信しようとすることをやめてしまうことがあります。

もし、議論の参加者に対して、議論の内容とは関係ない誹謗中傷を大量に浴びせ付ければ、気に入らない人を議論の場から自発的に出て行かせることが出来ます。それが、組織的な行為でも、個人的な行為でも、議論環境を疲弊させるような行為は、健全な議論と民主主義を傷つけることに繋がるのです。


レベル2★★:発信機会が奪われている

政府は、政府にとって都合の悪い意見を表明する人に対しては、その人を逮捕、監禁するなどして別に荒い手を使うまでもなく、政府権力を使って、その人の発信機会を奪ってしまえばいいのだ、という権力者の発想です。例えば、大学などで行われる講義を無理やり中止させたり、あるいは妨害行為を行うといった、言論人のプラットホームを奪い取るようなやり方が想定されます。


レベル3★★★:反政府的な意見が規制されている

もし、あなたがネット上でも現実の場でも、何か反政府的な主張をした場合、即座に警察があなたの家に訪れ、あなたを逮捕し、刑罰を科せるという状態にあります。このレベルまで行くと、もはや「民主主義国家」などとは言えなくなってきます。今の中国大陸や、ロシアでは、この段階で言論統制が行われています。


レベル4★★★★:自分の主張を持つことが規制されている

あなたの述べた主張が、たとえ直接政府を批判するものでなくても、「風が吹けば桶屋が儲かる」ような理論で、政府の体制に危害を与えると見做された場合、あなたは逮捕され、刑罰が科されるといった状態です。このような状態の国家では、今の国家体制の矛盾を指摘し、疑義を抱く能力を持つような賢い一般人なら、国家の危険だとして、予め弾圧される可能性があります。もはや、この段階の状態の国は、法治国家ではなく、権力者の恣に人間を逮捕し、処刑することができるようになっているのです。


レベル5★★★★★:思考することが規制されている

政府の独裁体制に疑義を抱く可能性がある知識人だけでなく、比較的裕福な一般人であっても、いつ逮捕・処刑されるか分からない、ディストピア国家社会と言えるでしょう。人々は、権力者の奴隷のように、ただただ命令だけを聞き入れて実行するだけの道具に過ぎず、異議を唱える余裕、命令を顧みて自分で物事を考えてみる余裕は与えられず、そこには人間らしさの一欠けらも無いのです。


いかかでしたでしょうか。これらのレベルを、現在または過去に存在した国家に当てはめてみると、日本や米国、欧州の民主主義諸国などは、だいたいレベル0~1に該当します。正直、レベル1のようなことを、人々は無意識のうちに感情的に行っており、現在の日本社会でも、議論環境の疲弊をやめさせるのは相当難しいことでしょう。

現在の中華人民共和国やロシアは、レベル3くらいに該当します。レベル3の段階で、かなり深刻な状況ですが、やがて中国やロシアの国力が増大した場合は、海外からの人権状況への批判にどんどん強気になっていくことが予想され、となるとレベル4以上に上がる可能性も否めません。

1970年代、ポル・ポト支配のカンボジアでは、原始共産主義ということで、国家の指導する農地回帰政策に従わない者は、片っ端から虐殺されました。もはや当時のカンボジアでは、政府の命令は絶対であり、政府の掲げる目標を達成するために、1ミリの統率の乱れも許されない状況であり、言わば「言論の多様性」などは言語道断だったわけです。ですから、ポル・ポト支配下のカンボジアは、レベル4~5の状態にあったと考えられます。


権力者が独裁国家を築こうとする場合は、必ず「言論の複数性」はそれを妨げる訳ですから、逆に権力者による言論統制が敷かれる訳です。しかしこのように、独裁国家に対する民主国家の優位性は明らかです。以下の未来ノートの記事も参考にしてみてください。

(2021.8.11)


2 件のコメント:

  1. レベルわけして見てみる、というのは、とても良い発想ですね。
    レベル5は、北朝鮮ですかね。
    ロシアはロシア正教の信者を弾圧をしていないので、スターリン時代に比べれば、言論、思想の自由は良くなっていますが、反政府マスメディアはいまだに命の危険があるので、その点では、中国に近いのは確かですよね。
    中国はチベット仏教も(中国共産党の配下にない)キリスト教会もイスラム教も法輪功も弾圧しているので、思想レベルでの自由の抑圧がある点、ロシアより酷いと思います。

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    1. コメントありがとうございます。
      確かにロシアも共産主義を放棄したうえで、欧米のような政治制度を導入したのもあって、ソビエトの時代と比べれば、自由の価値観が浸透したかなという印象はあります。ただ、プーチンのような人が20年以上にも渡って権力を維持できた背景には、やはり“従来の”言論統制や情報統制が敷かれているという事実がありますよね。
      中国に関しては、近年統制が文化にも及んでいるという話が後を絶ちません。例えば、昨年11月に中共政府は、「いびつな美意識」の助長を禁止するという通知を発表しましたが、これは要するに、中性的な男性アイドルなどの近ごろ新たに見られる庶民の文化的嗜好への制限・介入を意味します。中国では芸能界の社会的影響力が強まっており、やはりこれも権力側が「風が吹けば桶屋が儲かる」ような理論で、政府の体制に危害を与えると考えたと思われます。
      いずれにせよ、権威主義国家では最悪の場合、最終的にあらゆる分野のあらゆる物事が政府の統制下に陥ることが有り得ます。この記事には、それを示すために、段階に分けて権威主義国家が辿っていく深刻な道を説明するという意図もありました。

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