2021年10月16日土曜日

イソップの警告【未来ノートコラムA・第8回】

 イソップ童話にこんな話がある。

葦の生える沼川に住むカエルたちは、毎日川の畔でゲコゲコと鳴くだけの自由過ぎる日々に飽きてしまった。そこで、自分たちを統制してくれる何か王様みたいのを授けてくださいと、天の神ジュピターに申し入れた。

ジュピターは、カエルたちが非常に単純で愚かな動物だと見抜いており、そこで天から巨大な丸太を落としてやった。丸太はものすごい音と波を立てながら、川の水面にザブンと落ちた。カエルたちはそれに驚いて、恐れて急いで川の畔へと逃げた。しかし、しばらくすると、丸太が落ちた音も波も止み、静けさが戻って来た。そこで、一匹のカエルが、さっき大きな音を立てたのは今川面に浮かぶ丸太だということに気づく。

そのうち、カエルたちはその丸太を遊具にして使い、あるいはその上に乗って日向ぼっこをするのに使い始めた。そして同時に、ジュピターに対してこんな王様は独活の大木だと文句を言った。

そこでジュピターは、カエルたちの王様として、シギを送り込んだ。すると、そのシギは次々と川の畔のカエルたちを貪り食っていった。カエルたちは、暴君の素行を嘆く暇もなく食われてゆき、最後には沼川のカエルたちは一匹残らず食い殺されてしまった。


いかがだっただろうか。これは、『王様を欲しがったカエル』という寓話である。そもそもイソップ童話とは、古代ギリシアの民話を集めた寓話集で、これを紀元前6世紀のギリシアの奴隷イソップ(アイソーポス)が著作したとしたものなので、本当にイソップという人物―寓話を使って自分の主張を説いた論客―が存在したかどうかは定かではない。

いずれにせよ、今のイソップ童話として親しまれている説話集、この『王様を欲しがったカエル』も含め、これらは全て紀元前のギリシア~小アジア地域で成立した民話であることに変わりはない。

今回、私がこの話をチョイスして敢えて紹介したのは理由がある。まず、なぜ話の中で、カエルたちが最終的に全滅してしまうという結末に至ったのか、それは、「カエルたちが自分たちでリーダーを選ぶことをしなかった」、この一点に尽きると考える。

当然な話だが、カエルたちが自分たちの中から、選挙をやるにしろランダムに一匹選ぶにしろ、何らかの形でカエルのリーダーを選んでいれば、シギや丸太などは登場せず、この話はハッピーエンドで終わっていた。逆に、この話に登場する愚かなカエルたちのように、自分たちのリーダーを誰か他人(=ジュピター)に選んでもらい、誰(何)がリーダーとして選ばれるか分からない状態にしてしまう、これほど危険な事はないということが分かる。

この『王様を欲しがったカエル』の教訓の一つとして考えられるのは、「自分たちのリーダーは自分たちで選べ」ということになる。

そして、私がこの話をチョイスした理由なのだが、実は、この話で起きた出来事を、現実として見事に再現した歴史が存在するのだ。1930年代のドイツである。

1930年代のドイツで何が起きたのか、と言えばだいたい分かる人も多いだろう。1930年代初頭のドイツは、世界恐慌の影響が波及し、さらに前回の大戦の敗戦国でもあったので、大変な不況に見舞われることとなった。国民の間には長期的な不安が積もっていた。しかし、そんななか現れたのがヒトラーであった。ヒトラーは民主主義を否定して、自分がドイツを強い国に戻すという理想を語り、国民も彼に任せれば、不況を脱出し、不安も解消されると信じ込んだ。実際に、ヒトラーが首相、そして国の全権を握る総統に就任すると、徹底的な独裁体制を敷いた。それに抵抗する者は少数派として弾圧された。多くの国民がヒトラーに熱狂した。裏ではユダヤ人が残虐にも虐殺されていたのに。

結局、ヒトラーが残したものは破滅のみであった。過激な民族主義の下、欧州征服を目指して起こした戦争は、何万もの死者を出して、ドイツの二度目の敗戦として終戦した。その間にもユダヤ人やスラブ人が多く殺されたという。

自分たちを率いる強いリーダーを求めたのは、当時のドイツ国民も沼川のカエルたちも、動機はさておき、両者同じである。そして、天に任せて誕生したリーダー、具体的にはヒトラーとシギとは、結局は自分たちを破滅に導くものであった。

特記すべきことは、この『王様を欲しがったカエル』の話は、ドイツにおける独裁者の誕生に2000年以上先駆けて成立しているという事実だ。2000年もの前に、イソップ、あるいは当時のギリシアの大衆は、リーダーを選ぶのを他人に任せることがいかに危険な事かを伝え、警告していたのだ。

この事実を発見した時、私は非常に驚いた。ハンナ・アーレントなど、第二次大戦後、ドイツやソ連の全体主義などを研究し、その危険性を論じた政治哲学者は何人もいたが、ヒトラーが誕生する前、それも2000年もの悠久の時代に、ここまで踏み込んで、大衆の愚かさを風刺した説話があったとは。信じられない。


以上、私のイソップ童話『王様を欲しがったカエル』に対する一考察であった。少し深読みかも知れないが、紀元前のギリシアで、現代に通じる「民主主義」という概念が既に芽生えていたことを考えれば、十分自信をもって言えることなのではないか。

あと、もう一つこの話と1930年代のドイツに共通する要素として、「自由の放棄」が挙げられる。この話に登場するカエルたちも、当時のドイツ国民も、「自由」に飽き飽きしていた、あるいは「自由」に対して不信感を募らせていた故、このような出来事が起こったのかもしれない。

(2021.10.6)


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